鹿島美術研究 年報第34号別冊(2017)
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李忠は、体の左の方に両手で刀を捧げ、顔は右手に描かれた弓に向けている。李忠は爪先をあげたフォルムで描かれるなどの違いはあるが、図のように、両者の脚のポジションや、脚と体のつくる逆「く」の字の姿形などが似通っている。また、魯粛は手を開き、両腕を胸元に掲げて描かれており、両腕や手を完全に開いている北斎の描く周通のフォルムと完全に一致はしないものの、類似点を感じさせる。北斎が『英雄譜』を実際に見たかどうかは定かではないが、『英雄譜』の繍像はどれもさまざまな動きのあるポーズをとっている。馬琴が水滸伝の諸本を収集していたことは研究がなされているが(注15)北斎が類似する漢籍の繍像を参考にして、図像を創り上げた可能性は考えられるだろう。以上、『新編水滸画伝』初編に関して考察を進めたが、最後に高井蘭山が翻訳をした三編の挿絵をとりあげる。前帙巻二十一「武ぶしょう松景けい陽やう岡かう上じやうに大おほとら虎を撃うつ」〔図9〕と「死し虎こを擔になハしめ武ぶ松しょうを官くわんふ府に入いらしむ」〔図11〕に着目したい。本書と類似する挿絵に、曲亭馬琴著、歌川国安画の合巻『新編金瓶梅』第二集下帙上の武松が虎を打ち殺す場面(二十六ウ二十七オ)〔図10〕とその虎を猟師達が運ぶ場面(二十七ウ二十八オ)〔図12〕がある。『金瓶梅』は明代に成立した小説で、『水滸伝』の武松のストーリーから派生した。本書は、『金瓶梅』の翻案ものだが、『金瓶梅』では省略された部分を『水滸伝』から摂取していることが既に指摘されている(注19)。『新編水滸画伝』三編前帙の出版時期は天保4年(1833)秋、『新編金瓶梅』第二集の出版時期は同年春であり、両者の作画時期の前後関係は判断が難しい。しかし、この場面は、『水滸画潜覧』や『梁山一歩談』・『天剛垂楊柳』では描かれず、容与堂本では武松が虎を打ち殺す場面のみが描かれている。虎と組み合う武松をクローズアップして捉える構図や木の枝にくくりつけた虎を大勢で運ぶ構図が共通しており、北斎の挿画は国安の挿画をふまえて描かれたと考えられる。両者を比較すると、武松が虎を打ち殺す場面では、北斎は武松が虎の首を踏みつけ、虎の顔が画面下に描かれる構図をとる一方、国安は武松が虎の首を掴み、武松の顔の近くに必死の形相の虎の顔が描かれている。両者共に、迫力ある画面を演出しようと工夫をこらしているが、北斎の図は両者の力関係を分かりやすく示している。虎を運ぶ場面では、北斎の絵では木を組んだ台に虎をくくって運ぶのに対し、国安の絵では一本の丸太に虎をくくりつけて運んでいる。見開きの画面が確保された読本と、挿絵の周辺に本文が記される合巻という違いはあるが、北斎の絵は虎の大きさを強調して伝えている。また、北斎は武松と組み合う虎には大きな爪を描いていたが、この場面では虎の爪は描かず生気を失った眼を開いたフォルムをとっている。一方、国安はこ― 69 ―― 69 ―

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