鹿島美術研究 年報第34号別冊(2017)
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注⑴本稿における引用に際しては、以下の方針を採択した。字体は新字体にし、仮名遣いは底本通りとするが、変体仮名は平仮名とする。振り仮名は底本の通りとするが、一つの漢字に対し、平仮名と片仮名の二種類の振り仮名が振られている場合は、片仮名のルビを省略した。引用文には筆者が句読点を記した。の場面でも虎の大きな爪を描くが、虎の目は描いていない。北斎の虎は、武松に倒され無力化した虎の姿を伝える工夫がなされていることがわかる。高井蘭山が著者となった二編以降は、馬琴が挿画の下図に携わっていた初編ほどの細密な描写はなされなくなっていくが、本例は、高井蘭山に著者が変更された後も、馬琴が携わった作品が『新編水滸画伝』に影響を与えているという点で興味深い。また、北斎の挿絵は物語を一目で伝える工夫がなされているが、北斎の作品には錦絵や肉筆画でも物語性を感じさせるものが多数あり、読本挿絵の創作経験が彼の画業に与えた影響は大きいと考えられる。以上、『新編水滸画伝』の制作において北斎が学習したものについて考察を行った。本稿では取り上げる事ができなかった事例は複数あり、和漢の文学や絵画の影響関係の中で北斎の芸術が育まれ、受け継がれていったことが改めて確認された。今後、作品制作をめぐる人のネットワークの中で北斎が何を学び、芸術を昇華させていったのか研究を深めていきたい。⑵辻惟雄『奇想の図譜』ちくま学芸文庫、2004年、18頁。⑶鈴木重三「水滸画潜覧」項目『日本古典文学大辞典 第三巻』岩波書店、1984年、大高洋司「近世日本における『水滸伝』の普及と『水滸画潜覧』」『日語教育与日本語学研究論集第三輯』学苑出版社、2008年、佐々木守俊「国芳が模した中国の水滸伝画像」『真贋のはざま』東京大学総合研究博物館、2011年、周萍「国芳の〈水滸伝〉絵画について」『アート・リサーチ』11号、立命館大学アート・リサーチセンター、2011年、時準「中国と日本の『水滸伝』図像における比較研究」博士論文、京都工芸繊維大学、2017年など。⑷神田正行『馬琴と書物─伝奇世界の底流─』八木書店、2011年など。⑸注⑶周萍論文、時準論文にくわしい。⑹日本における水滸伝の需要の歴史に関しては中村幸彦「水滸伝と近世文学」『中村幸彦著述集第七巻』中央公論社、1984年、高島俊男『水滸伝と日本人』大修館書店、1991年を参照。⑺『水滸画潜覧』が『水滸伝』第23回までで完結していることは、大高洋司「近世日本における『水滸伝』の普及と『水滸画潜覧』」『日語教育与日本語学研究論集第三輯』学苑出版社、2008年、66頁で指摘されている。⑻注⑺前掲論文66頁、注⑶時準論文などに指摘があり、筆者も「『新編水滸画伝』における『水滸画潜覧』の影響」『北斎研究』56号、東京美術、2016年において述べている。⑼北京図書館蔵本の影印本である『李卓吾先生批評忠義水滸伝』中華書局上海編集所、1965年を参照。― 70 ―― 70 ―

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