鹿島美術研究 年報第34号別冊(2017)
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る。ラカンはメランコリーにフランス語の“Angoisse”(不安)を付しているが、“Angoisse”は仏仏辞典(Le Nouveau Petit Robert, 2007)では単なる不安ではなく、パニックや身体的症状を伴う強い不安を指す。バー・Jr.らがピカソの絵に感じたメランコリーは、①のふさぎ込んで憂鬱な状態を指していると解釈してよいだろうが、いくらか主観的とも思える。それに対して、エリザベス・カウリングはピカソの《座る女》(1920年)〔図2〕はアルブレヒト・デューラーの銅版画《メランコリアⅠ》(1514年)〔図3〕を想起すると述べているので、これに関して次に概観する(注2)。デューラーの《メランコリアⅠ》はヴァルター・ベンヤミンが著作『ドイツ悲劇の根源』(1928年)で論じて以来、人間の憂鬱な感情を表す代表的な図像として今日に至っている(注3)。メランコリー(憂鬱)は古代以来の人間の性質を規定する四つの体液のひとつである黒胆汁と関連すると考えられていた。ルネサンス時代には学者の憂鬱質を積極的に評価し始め、最も崇高な気質であると尊ばれている。この時代の憂鬱質を表したデューラーの銅版画は、解釈は難解だが創造の霊感が降りてくるのを待つ憂鬱質の象徴が描かれている。崇高な憂鬱質である有翼の女性は頬杖をついており、その図像の源泉を辿るとギリシア・ローマ時代の彫刻や浮彫レリーフ、陶器画に遡及している。サルヴァトーレ・セッティスによれば、古代ギリシアの叙事詩や悲劇に登場する人物であるペネロペ〔図4〕、メデイア、エレクトラは「逡巡」、「悲嘆」などを意味するものに分けられ、それが繰り返し模倣、反復されている。そして、これらの人物たちを表す図像は記号論的に解釈され、身振りは意味するもの(シニフィアン、記号表現)に過ぎないとされている(注4)。つまり、意味するものと意味されたもの(シニフィエ、記号内容)の図式は保たれる場合と分離して別の意味を帯びる場合がある。換言すれば、ペネロペの身振りからデューラーの版画に借用されたメランコリーの図像は、古代からの意味や解釈が変容され、形態そのものも微妙に変化しながら現代の作品にも表されている(注5)。2.《座る二人の裸婦》のイメージ・ソースと反復手法この頬杖をつくメランコリックな身振りは、ピカソの本作品の右側の裸婦にも見られる。この頃のピカソは、女性の裸体を描くための伝統的手段として用いられてきたドラプリー(Draperie)という白い布を体に巻いたり、手に持っている裸婦を数多く制作している。裸婦の主題が増加した理由のひとつには、彼が1918年11月から画商― 76 ―― 76 ―

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