鹿島美術研究 年報第34号別冊(2017)
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ポール・ローザンベールの画廊に隣接するラ・ボエシー通り23番地に住んでいて、画商が所有するピエール=オーギュスト・ルノワールの作品を常に見れる環境にあったことにも起因する(注6)。ピカソの裸婦画にはルノワールの影響を受けたものもあり、《腰掛けて足を拭く裸婦》(1921年)〔図5〕はルノワールの《風景の中の座る水浴の女(通称エウリディケ)》(1895-1900年)〔図6〕の裸体形態を援用している。ルノワールの同作品は画商が1917年頃から所有していたが、1919年かその翌年にピカソに購入された(注7)。しかし、《腰掛けて足を拭く裸婦》の前年に制作された本作品はすべてがルノワール風とは言い難い。色彩は印象派的ではなく、肌色系の褐色、白、灰色で単調に抑えられている。加えて、明確な輪郭線と明暗表現による古典的手法が用いられ、量感豊かな裸体で多少筋肉質に表されている。このように、ピカソの裸体表現がルノワールと相違するのは他にも源泉があるからである。先述した二人の両作品にはヘレニズム期の彫刻《棘を抜く少年(通称スピナリオ)》の介在が見られると指摘されている(注8)。こうした古代彫刻を参照して描いた重厚な姿態はピカソの古典時代の特徴である。その根拠のひとつとして「クラシック画帖」と呼ばれる1919年~1923年迄の5冊のデッサン帖には、《パルテノン神殿東破風女神群像》(B.C.438-433年頃)を描いたようなスケッチが残されている。先行研究にもあるように大英博物館で同古代彫刻をおそらく見たピカソは、三女神ヘスティア(レト)、ディオネ(アルテミス)、アフロディテのうちの、ディオネとアフロディテのデッサン〔図7〕と、デメテルとペルセフォネの二女神のうちのペルセフォネ〔図8〕だけを描いている(注9)。この2点のスケッチのうち、ペルセフォネの形態は本作品の左側の裸婦に近似する。また、女神ヘスティア(レト)はピカソの《大水浴者》(1921年)〔図9〕に、その形態の残存が見て取れる。ピカソが着想を得た古代美術は彫刻だけでなく、古代エトルリアの鏡や古代ギリシア陶器も挙げられるだろう。ケネス・クラークは古代鏡からそのまま抜け出てきたようなピカソの裸婦の線描は、白地レキュトスの陶器画も想わせると述べている(注10)。リサ・フローマンによると鏡の裏面に彫られた線描や堅牢な画面構成は1930年~31年のピカソの銅版画連作「オウィディウスの『変身譚』のための《メタモルフォーズ》」に関連する(注11)。鏡や陶器画の影響は、本作品の裸婦を象る明確な輪郭線や、奥行きのない画面に人物が置かれる構成という点に関しても同様に言えることである(注12)。ピカソが参考にしたような古代鏡はルーヴル美術館に多数展示されていて、それらの裏面〔図10〕には二人~五人の人物が線刻された同様な図柄も確― 77 ―― 77 ―

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