鹿島美術研究 年報第34号別冊(2017)
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関係のように表される手法は、本作品にも適用されていると思う。ピカソは様式を変えても主題や手法を反復しているのだ。しかし、本作品に指摘できるイメージ・ソースは、エルギン・マーブルや、キュビスム手法で描かれた頬杖をつく裸婦のモティーフと、裸の女性が頬杖をついて座る複製写真のみだけなのだろうか。イギリス人批評家クライヴ・ベルの妻ヴァネッサはピカソのアトリエを訪問して本作品を見た感想を「最も精巧に完成されて、どのアングルよりも明確で恐ろしく良い」と1920年5月17日付の手紙でロジャー・フライに伝えている(注23)。ここでアングルというのは、19世紀新古典主義のジャン=オーギュスト=ドミニク・アングルを指している。ピカソは古典回帰を表明するためにキュビスムを放棄して(実際はしていなかった)、友人や知人をアングル風にデッサンして発表するほど、アングル芸術に敬意を示していた。それゆえ、次の検証事項として、アングルの絵画とピカソの人物画や肖像画を比較し検討したい。3.オルガの肖像画との関係性─メランコリックな「思案」、「瞑想」の身振りピカソは本作品以外にも、こめかみに手を当てて頬杖をつくメランコリックな身振りの人物画を描いている。《手紙を読む女》(1920年)〔図18〕と《想いに沈むオルガ》(1923年)〔図19〕の絵を挙げる。両作品は妻オルガをモデルとしたが、《手紙を読む女》の特徴的な右手はポンペイの壁画 《ヘラクレスとテレフォス》(後1世紀後半、第4様式)〔図20〕を援用している。ピカソはジャン・コクトーや、セルゲイ・ディアギレフが率いるバレエ・リュスとのイタリア旅行で、ポンペイ、ヘラクラネイムの遺跡巡りをした際にこの古代壁画を知ったようである(注24)。同壁画に登場する女性はアルカディアの擬人像とされ、同様な身振りをオルガもしている。しかし彼女の手は、手首が直角に折られ、手の甲が一層長くて大きく大胆にデフォルメされている。アルカディアの擬人像の独特な身振りは、アングルの《座るイネス・モワテシエ夫人》(1856年)〔図21〕にも同様に見られる。モワテシエ夫人は関節のないヒトデのような手をこめかみに当てて鏡前に座り、この擬人像と同様の存在感で観者を圧倒している。アングルが同壁画を参考にした事実は夫人の身振りから確証できるが、アングル美術館に保管されている作者不詳の同壁画の模写からも実証される(注25)。ピカソ芸術にアングルは深く関わっている。ピカソは1905年、サロン・ドートンヌで開催された「アングル展」でアングル最晩年の《トルコ風呂》(1862-1863年)に魅了されて以来、晩年に至る迄の各様式の造形表現にアングル芸術を多種多様に採用している(注26)。アングルへの関心は既に「アングル展」の前年から始まっていて、― 79 ―― 79 ―

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