鹿島美術研究 年報第34号別冊(2017)
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⑨受胎告知図に描かれた幼子イエス─一角獣狩りとの関わり─研 究 者:清泉女子大学 文学部 准教授  木 川 弘 美はじめに聖母マリアが神の子を宿す─キリスト伝の中でも重要な場面として、古くから受胎告知は人気を博し、様々なヴァリアントを持って描かれてきた。時に福音書や外典に述べられた受胎告知の場面とは逸脱するような表現もある。十字架を背負った裸体の幼子イエスが聖母に向かって飛来する図像もそのひとつである。受胎告知としてはやや即物的で奇異なこのモチーフを取り入れた地域は広範囲にわたり、作品の数も少なくないのだが、15世紀のドイツで好まれた「神秘の一角獣狩り」というこれもまた奇妙な図像の中にも登場する。狩人ガブリエルによって閉ざされた庭園に追い立てられた一角獣が聖母の膝元に頭を垂れるこの主題には、中心となる登場人物の他にも、予型や象徴と結びついたモチーフが多数挿入されている。本論は「神秘の一角獣狩り」に描かれた幼子イエスに注目し、図像の成立と発展について考察するものである。1)一角獣と聖母マリア:キリスト教化と受胎告知との関係馬に似た額に角を持つ一角獣とよばれる空想上の動物は、世界中で同様の伝説があり(注1)、旧約聖書にも登場する。七十人訳聖書でヘブライ語のreʼemという単語がモノケロスと訳され、ウルガタ訳もそれを受け継いだ(注2)。初期キリスト教時代の神学者たちは、この不思議な生き物に興味を抱き、次第にキリストを示すと考えるようになった。殉教者ユスティニアヌスとテルトゥリアヌスは、申命記33章17節で述べられている一角獣が磔刑を示すと考え(注3)、これを受けて聖アンブロシウスは、この獣の実在について疑問視しつつも、キリストの象徴とした(注4)。こうして一角獣はキリスト教世界の中で重要な動物のひとつとみなされるようになる。一角獣と受胎告知のつながりは、この獣にまつわる古い伝説に基づいている。一角獣は象を倒すほど凶暴な獣だが、処女に対しては従順となり捕獲されるというものである。この逸話はインドが起源と考えられており、クニドスのクテシアスによる『インド誌』にもあるという。処女による一角獣の捕獲という主題は、当然のことながら聖処女マリアと結びつくことになり、400年頃の『フィシオログス(Physiologus)』には一角獣と聖母マリアに関する記述があるという(注5)。11世紀の『テオドロス詩― 87 ―― 87 ―

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