鹿島美術研究 年報第35号別冊(2018)
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二、台北1605本「清明上河図」に描かれた宮室場面について台北1605本と「龍池競渡図」には類似点が認められるものの、相違点も大きい。台北1605本は、「龍池競渡図」の基本要素である宮室と龍舟を画面に取り込んだが、一方で「龍池競渡図」における楼閣中の大臣が龍舟の行事を見つめる場面や、龍舟が2列の小旗に囲まれた「標竿」を目指して疾走する様子などをまったく描かない。そして台北1605本では、「龍池競渡図」とは異なり、周りが青緑の山や松に囲まれる宮室を前の2つの宮室とは隔離し独立する場面のように描く。すなわち画面全体は、湖中に建つ2つの宮殿と、陸に建つ宮殿を中心とする場面とに大きく分けて構成されている。さらに、画面構成だけでなく、それぞれの場面の主題も「龍舟競渡」図とは異なっている。上記2場面に描かれた内容を明確にするため、画面左に位置する連続して描かれた2つの宮室を①、木々に隔てられた3つ目の宮室を②として以下に検討する〔図1〕。1、①の場面についてまず①の場面について、画中人物たちは、明末から清初にかけて制作された「漢宮春暁図」と関連性があることを指摘したい。明末から清初にかけて、女性たちの後宮での活動を描いた作品が大量に制作されており、その一部は「漢宮春暁」という名で呼ばれた(注8)。「漢宮春暁」の名を冠する作例は、春の朝日に映える漢代宮廷における、女性たちの後宮でのさまざまな美しい情景を描写したものである。その中で、仇英による「漢宮春暁図」が最古の作品といわれている(注9)。また、仇英筆「漢宮春暁図」以降清初にかけて、同モチーフは、工房による模本や、屏風などの形で展開した(注10)。その中で、後宮の女性たちの活動を描くという主題、型や構図の共通性は保持しつつも、図様の入れ替えや作品形態に応じた画面の再構成などが行われ、個性を有する作品が生まれるようになった。仇英(1494頃~1552)は明代中期の職業画家で、江蘇を中心に、文徴明、項元汴などのような文人や収蔵家と交流しつつ活動していた。仇英の作品は蘇州において非常に人気が高かったため、彼の画風に似せた贋作、即ち蘇州片が多数作られ流通していた。現存する漢宮春暁図の中では、台北故宮博物院所蔵の「漢宮春暁図」は仇英の真作といわれている(注11)。この仇英本「漢宮春暁図」(以下、仇英本と略す)は絹本着色で、縦が574.1cm、横が30.6cmの1巻ものである。画巻は壮麗な宮廷に美しい女性たちを配す構図をとっており、精細な筆線で色鮮やかに仕上がっている。巻頭の門を― 90 ―― 90 ―

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