鹿島美術研究 年報第35号別冊(2018)
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⑩紅型衣裳の編年に関する基礎的研究─海外調査を視野にいれて─研 究 者:大妻女子大学 家政学部 専任講師  須 藤 良 子はじめに沖縄の染め物である「紅型(びんがた)」は色彩豊かな衣裳であり、現在でも着物として人気があるが、その歴史的な研究は進んでいるとはいえない。美術館や博物館に収蔵されている作品数は少なくないが、研究に資する文献資料がほとんど現存しないためである。筆者は『琉球紅型のイメージと実像』(注1)の中で紅型研究が鎌倉芳太郎(注2)によって導かれ、それ以降の研究は鎌倉の研究を継承するものが多く、新たな視点のないことを問題提起した。紅型研究の一番の問題点には、制作年などを特定できる基準作のないことが挙げられる。染織品は職人が作り上げる工芸品であり、日常的に着用するものなので、現在でも有名ファッションデザイナーのオートクチュールのドレスなど以外は、作者も制作年も特定できないのが常ではある。しかし、歴史的な美術工芸品として位置付けられた小袖などには、墨書の紀年銘の入った内敷や袈裟などにより、着用者やおおよその制作年代をたどることができる作品もある。このような作例によって小袖類の編年が可能となり、その時代を反映する様式や技法が特定できる。しかし、紅型衣裳においては、管見の限り、紀年銘の入った作品を挙げることができない。このような状況の中で、各美術館や博物館が所蔵する紅型作品をどのように位置付ければ良いのかという問題を常に抱えていた。研究を進めていく中で、ドイツのベルリン民族学博物館には明治15年(1882)に日本政府によって沖縄県で収集され、ドイツの博物館へ送られた沖縄の民族資料が存在することが分かった。この資料は1983年から3か年をかけて、ボン大学日本文化研究所が実施した、ヨーロッパ各国に現存する沖縄関係コレクション調査の結果から明らかになり、1992年に当時沖縄県立芸術大学教授であった祝嶺恭子氏により日本に紹介された(注3)。1997年には佐々木利和氏(当時東京国立博物館)、荻尾俊章氏(当時沖縄県立博物館)、與那嶺一子氏(沖縄県立博物館・美術館)により、その詳細が明らかにされた(注4)。琉球王国がなくなり琉球藩を経て沖縄県となる、いわゆる琉球処分は明治12年(1879年)の事であり、ドイツ政府が沖縄の民族資料を収集したのは、それからわず― 99 ―― 99 ―

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