きな収穫であった。調査を行ったのは、アメリカ・セーラムのピーボディ・エセックス・ミュージアム、シアトルのシアトル・アート・ミュージアム、イギリス・ロンドンのヴィクトリア&アルバート美術館の3館である。調査の詳細は別紙に表を示した。1.Peabody Essex Museum(PEM) 〔Table1〕参照明治42年(1909)は、琉球王国が日本になってから30年が経過した時期で、ワーナーの収集した染織品には紅型、絣、絹織物など13点が現存しており、すべてが未着用の状態かまたはそれに近い良好な状態であり、おそらく未公開の作品が多いのではないかと思われた。各作品の詳細はTable1を参照されたい。(調査対象は21点。)1-1.紅型衣裳について6点の紅型衣裳のうち5点がワーナーの収集品である。1点は第二次大戦後に沖縄で土産物として販売されていた紅型の壁掛けで、1975年に寄贈されたものである。紅型衣裳2点は綿素材の袷で、表裏ともに紅型である(E13732、E13745)〔図1〕。E13732は青海波のような文様に桃、牡丹、梅の花が大きく配された大模様型という型紙を使用して染色された衣裳である。この作品と同模様の作例が松坂屋染織コレクションにある。裏地は網干、丸籠、菊が配置された大模様型の紅型衣裳であり、この文様も色違い(黄色と浅葱)の作品が女子美染織コレクションに見られる。E13745は山並みに大きな牡丹と桜が流水に漂っている文様で、裏は松皮菱に鳳凰の丸紋が配されている。どちらも類似する文様の作例を挙げることはできないが、鶴PEMは1799年に設立された、アメリカでも最も古い博物館といわれている。大森貝塚を発掘したエドワード・シルベスター・モースがPEMの2代目の館長であり、日本にも縁のある博物館である。PEMのコレクションではモースが日本滞在中に収集した日常品約3万点のコレクションが有名である。PEMの沖縄の染織品は、ラングドン・ワーナーという日本美術の研究者が、1909年11月7日から14日まで沖縄に滞在し、収集したことが分かっている(注6)。ワーナーはハーバード大学を卒業後、ボストン美術館で岡倉天心の助手を務めたことがあり、1907年に日本に派遣されるが、沖縄旅行の目的は不明であるという。ワーナーが収集した染織品を含む沖縄の「モノ」は60点ほどあったようで、モースの協力者であるチャールズ・ゴダード・ウェルドがワーナーから買い取り、PEMへ寄贈したことが分かっている。1910年のことである。― 101 ―― 101 ―
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