クチャーとして描かれているため、これらテキストの研究成果を待つ状態となっている。2012年にローマで行われた752番のシンポジウムにおいて、歴史学、神学、文学、美術史学の研究者が集って検討が行われたが(注8)、諸研究は今後の更なる発展を期待される状態である。同シンポジウム開催以前から、ストックホルム大学において752番の欄外註翻訳プロジェクトが予告されているが、未だ公開されていない。本研究計画では、全頁大や余白といった挿絵形式の枠に縛られることなく、詩篇を本文とする中期の写本に描かれたダヴィデ像に注目した。曖昧な歌の集積である本文に対し、新旧約の物語や聖人暦、典礼に関わる多様な挿絵を施す詩篇写本だが、詩篇作者と目されるダヴィデの肖像は挿絵形式を問わず描かれるためである。752番はパスカル・テーブルから1059年に制作されたことが判る写本で、本文とほぼ同量の神学者の註解が各テキストに添えられ、491葉に220の挿絵が施されている。1927番は、パスカル・テーブルを持たないため、その様式から12世紀前半とされる。欠損があるが、289葉に145の挿絵が残る。両写本は註解に対するアプローチや主題選択こそ異なるものの、図像様式と挿絵形式も似ていることから、近い関係を持つとされる。752番におけるダヴィデの表現については、既に1993年のKaravrezouらの研究がある(注9)。執拗に反復される同写本のダヴィデは跪拝の姿勢を取っているが、これを皇帝と総主教の衝突やシスマのような同時代の出来事を反映し、皇帝を批判するものとした。その後しばらく同写本を単独で扱う研究は現れなかったが、上述のシンポジウムで、同論文の共著者でもあるTrahouliaが1927番と比較するかたちで再度言及した(注10)。これは先の研究を踏まえてダヴィデの表現から写本全体の特性を探るものであり、各挿絵を他の形式の写本と詳細に比較する研究は未だない(注11)。確かにTrahouliaの述べる通り、1927番のダヴィデは752番のそれと比べて改悛の姿勢を強調しておらず、無名の王たちの不信心な振る舞いを示すという立場で描かれているが、彼女の述べる通り、この写本は予型論的な解釈に基づいて描かれた図像が乏しいと言えるだろうか(注12)。紙幅の制約もあるため、ここではキリスト伝にダヴィデの姿が描かれた箇所をひとつ取り上げて分析する。1927番f.204〔図1〕には、本文コラムの下半分を占める金地背景の四角い枠の中に二段に分けて挿絵が施される(注13)。剝落があるものの、上段左端から、首を吊るユダ、左手に巻物を持ち右手を挙げるダヴィデ、キリスト、マティア、バルサバ(?)(注14)が描かれる。下段は左から、逃げる馬、樹に引っかかったアブサロム、剣を振り上げる兵士、アブサロムの首を差し出す兵士(注15)、坐るダヴィデである。De ― 2 ―― 2 ―
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