鹿島美術研究 年報第35号別冊(2018)
121/455

⑪ギリシア人画家ニコラオス・ギジス研究研 究 者:岡山県立美術館 学芸員  橋 村 直 樹はじめに本研究で取り上げるニコラオス・ギジス(1842-1901年)は、19世紀後半のミュンヘン画壇で活躍したギリシア人画家である。エーゲ海に浮かぶティノス島に生まれ、幼少期に移り住んだアテネの美術学校での学びを経て、近代ギリシアと結び付きの深いバイエルン王国の首都ミュンヘンの美術アカデミーに23歳で留学した。同アカデミーでは、カール・フォン・ピロティ(1826-1886年)のクラスで研鑽を積んだ後、1880年に客員となり、1882年からは先生として数多くの学生を教え育てた(注1)。また、ミュンヘンをはじめパリやウィーンなどの国際美術展覧会に出品しながら、後述するように、博物館の天井画のようなモニュメンタルな仕事や、本の表紙絵や挿絵、ポスターなどのグラフィックな仕事をこなすなど、多彩に活躍した著名な画家であった。それを証するように、没年の1901年にミュンヘンの水晶宮で開催された第8回国際美術展覧会では、ほぼ同時期に亡くなったアルノルト・ベックリン(1827-1901年)、ヴィルヘルム・ライブル(1844-1900年)とともに3人の追悼特別展示が行われ(注2)、翌年には名高い『芸術家モノグラフ』シリーズからモノグラフが出版されてもいる(注3)。また母国ギリシアでは、アテネの美術展覧会に出品したり、アテネ大学の学旗をデザインしたりして生前から名の知られた画家であったが、1928年に大規模な回顧展がアテネで開催されたことによってさらに有名になり、現在では、ニキフォロス・リトラス(1832-1904年)やゲオルギオス・ヤコヴィディス(1853-1932年)らとともに19世紀後半のミュンヘンに学んで活躍した「ミュンヘン派」を代表するギリシア人画家として広く認識されている。このように19世紀後半のミュンヘン画壇で名を馳せ、母国ギリシアでも著名なギジスであるが、その作品の大部分が画家の没後に故国にもたらされたことや、ドイツにおけるモニュメンタルな壁画が第二次大戦中の爆撃で失われてしまったことも原因となり、現在ではギリシアを除いてほとんどその名が知られていない状況にある。本研究は、ベックリンやライブルと比肩するほど19世紀後半のミュンヘン画壇で活躍していながら、ギリシア以外では今日忘れられている画家ニコラオス・ギジスの画業を振り返り、その再評価を行うことを目的としている。そのために、豊富なギジス・コレクションを誇るテサロニキ市立絵画館やギジス作品が常設展示されているアテネの国立絵画館とベナキ美術館での作品調査を踏まえ(注4)、ギジスがミュンヘン美― 111 ―― 111 ―

元のページ  ../index.html#121

このブックを見る