術アカデミーで教鞭をとっていた時期に留学していた原田直次郎との交流の可能性も探りつつ、ギジスの画業の特徴とその意義を明らかにしたい。ギジス研究の現状ギジス作品について具体的に見ていく前に、先行研究を確認しながら、ギジス研究の現状について押さえておこう。ギジスについては、生前から美術雑誌などで特集が組まれて注目されており(注5)、画家の没後は、先述のように、早くも1902年にモンタンドンによるモノグラフが出版されている。また1953年には、家族や友人たちに宛てたギジスの書簡がドロシニスとコロミラスによって編まれて出版され、モンタンドンによるモノグラフとともにギジス自身の言説を知ることのできる貴重な資料となっている(注6)。1980年代以降は、カリガスによるモノグラフ、ディダスカロスによる博士論文とミュンヘンのギジス家コレクションのカタログ・レゾネ、ミシルリスによる浩瀚なモノグラフ、さらには展覧会カタログや個別の論文などにおいて、ギジス作品は現在まで様々に語られてきている(注7)。これらの中でもディダスカロスによる一連の研究は、それまで知られていなかった、初期から晩年まで幅広い時期の下絵作品を含むミュンヘンの子孫所蔵の作品群に基づいて行われたため、ギジスの画業を知る上で極めて重要なものとなっている。ディダスカロスがモノクロ図版ながらその全容を紹介したミュンヘンのギジス家コレクションは、2001年のギリシアでの回顧展をきっかけにその大部分がテサロニキ市立絵画館に寄贈され、2002年以降、同館で常設展示されることとなった。かつては画家の子孫の個人蔵でモノクロ図版でしか知り得なかった作品群が公立館で常設展示されるようになったことは、法人や個人のコレクションとなっている作品が極めて多いギジスを研究する上で画期的な出来事であったといってよい。風俗画を中心とした1880年代中頃までの画業約半世紀におよぶギジスの画業について振り返る時、1880年代中頃を境に大きく二つの時期に分けて考えるとその特徴を把握しやすくなる。美術アカデミーでの修業時代から1880年代中頃までは、ドイツとギリシアの庶民の生活を描き出すレアリスム的風俗画に注力していて、それ以降は、家族などの肖像画をのぞいて世俗的主題をあまり扱わず、以前より散発的に取り組んでいた寓意画や、神話や聖書をモチーフにした象徴主義的な作品を集中的に制作しているからである。― 112 ―― 112 ―
元のページ ../index.html#122