鹿島美術研究 年報第35号別冊(2018)
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注⑴ ギジスが教えた学生の中には、ミュンヘンに留学した原田直次郎の友人ユリウス・エクステル(1863-1939年)や原田に思いを寄せたとされる女流画家ツェツィーリエ・プファフ(1862-1939年)もいた。画を描いていたことを考慮するならば、そもそも寓意画や象徴主義的表現に対する継続的な高い関心をギジスは抱いていたと考えられる。そうした寓意的、象徴主義的表現の下地をギリシア時代から持っていて、自身が庶民の出であることやアカデミーでの修業時代の友人関係なども影響して、ミュンヘンにおいて現実を見つめるレアリスム的風俗画も得意とするようになったのであろう。一方での卑近な現実への共感と、もう一方での天上的観念や精神への志向という、対極的な二方向への眼差しをバランスよく兼ね備え、それぞれの世界を巧みに視覚化して絵画作品へと昇華させる高い技量を持っていたからこそ、ギジスはギリシア人画家でありながら19世紀後半のミュンヘン画壇で活躍することができたのである。没年の1901年にミュンヘンの水晶宮で開催された第8回国際美術展覧会において、当代随一の象徴主義の画家であったベックリンとドイツ写実主義を代表する画家であったライブルとともに追悼3人展が行われたことは、二つの対極的な絵画を同時に実現し得たギジスをまさに象徴する出来事だったのである。― 116 ―― 116 ―⑵ ベックリンは1901年1月16日に、ライブルは1900年12月4日に、そしてギジスは1901年1月4日に没している。ギジスの追悼展示は水晶宮の第39室で行われ、油彩画60点とドローイング51点が展示された。Offizieller Katalog der VIII. Internationalen Kunstausstellung im Kgl. Glaspalast zu München 1901, München, 1901, pp. 28-32.⑶ M. Montandon, Gysis (Künstlermonographien, no. 59), Bielefeld und Leipzig, 1902. このモノグラフは、失われた画家の日記を豊富に引用しているため、今もなお重要な基礎文献となっている。⑷ 2018年2月28日より3月12日まで、ミュンヘンおよびギリシアにおいてギジス作品と資料についての調査を実施した。とりわけ、テサロニキ市立絵画館では、ギジス研究者で同館元学芸員のコンスタンティノス・ディダスカロス氏と学芸員ハラ・テオハルース氏の立会いのもと、同絵画館のギジス・コレクションについて詳細な調査を行うことができた。本調査のために貴重な時間を長く割いて対応してくださったディダスカロス氏とテオハルース氏にこの場を借りて感謝申し上げます。⑸ M. Halm, “Nikolaus Gysis,” Kunst und Handwerk, 1899, pp. 1-13; R. F. Piloty, “Nikolaus Gysis. Biographische Skizze,” Die Kunst unserer Zeit, Bd. VIII, 1897, pp. 77-94.⑹ Γ. Δροσίνη and Λ. Κοροήδα (eds.), Επιστολαί του Νικολάου Γύζη, Αθήνα, 1953.⑺ Μ. Καλλιγάς, Νικόλας Γυζης, Αθήνα 1981; K. Didaskalou, Genre- und allegorische Malerei von Nikolaus Gysis (Inaugural-dissertation zur Erlangung des Doktorgrades der Philosophie an der Ludwig-Maximilians-Universität zu München), München, 1991; idem, Der Münchner Nachlass von Nikolaus Gysis, Bd. I Katalog, Bd. II Abbildungen, München, 1993; Ν. Μισιρλή, Γύζης, Αθήνα 1995; K.

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