鹿島美術研究 年報第35号別冊(2018)
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(附記)図版のうち〔図1、2〕は筆者撮影。〔図3〕は大阪府立中之島図書館より提供を受けた。〔図 伊佐治重光編『天保医鑑』(天保14年(1843)序)は、京都府医師会医学史編纂室編『京都の 宮崎前掲⒆て─」(野村美術館学芸部編『野村美術館研究紀要』25 野村文華財団 2016年)がある。島村は「木米のパトロンのひとり殿村原明」としているが、殿村原明の特定や木米との具体的な関係については特に言及していない。⑾脇本前掲⑺ p. 155⑿脇本前掲⑺では大部分を「厚明」と翻刻しているが、p. 191など「原明」としている部分がある。これが元からの誤字であるのか、印刷の際に字を誤ったのか定かでない。後述する殿村茂済の号が原明であり、敷写しの書翰を確認したところ「原」と見えることから、本論では「原明」が正しいと判断し、『平安名陶伝』中の記述も全て「原明」に訂正し統一して記すこととする。⒀前掲⑼『東區史』⒁大阪府立中之島図書館蔵。折本一帖。自筆本。大里浩庵著、天保6年7月自跋。縦29.2cm、横21.6cm。⒂宮内庁書陵部図書寮文庫蔵 和本 一冊 以降、書陵部本と表記する。⒃東京大学附属総合図書館蔵 和本 一冊 以降、東大図書館本と表記する。⒄《大井戸茶碗 銘「対馬」》は草間直方(1753-1831)が編纂した『茶器名物図彙』(文政10年(1827)成立、大阪府立中之島図書館蔵)に掲載されている。今回は永島福太郎・原田伴彦監修『茶器名物図彙』(文彩社 1976年)の影印本を参照。⒅渡邊虹衣編著『高谷宗範傳』(財団法人松殿山荘茶道會 1935年)には、「関西18名の名流が会員となって組織した風流の集い」であったという「浪花風流十八會」についての記載がある。本式の茶事を例月各会員が巡回で行い、毎回煎抹の両席が設けられた。明治35年2月18日、山中商会の創設者山中吉郎兵衛を初回として、明治37年1月18日まで、その名の通り第18回まで続いた。その最終回を殿村平右衛門が担当している。この当時、既に茂済は故人であるが殿村家には多くの茶道具類の名品が所蔵されていたことが推察できる。⒆中武宣伝「青木木米と兎道朝潡図」 『國華』706号 國華社 1951年宮崎もも《兎道朝潡図》作品解説 『開館50周年記念特別展Ⅱ 乾山と木米─陶磁と絵画─』大和文華館 2011年⒇『平安人物志』嘉永5年版、慶應3年版はいずれも、森銑三・中島理壽編『近世人名録集成第1巻 地域別編Ⅰ』に所収された影印版を参照。医学史 2 資料編』(思文閣出版 1980年)に所収された影印版を参照。4、5〕は東京国立博物館デジタルコンテンツの画像を使用した。― 129 ―― 129 ―

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