鹿島美術研究 年報第35号別冊(2018)
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⑭蓮華王院宝蔵絵巻の研究─八幡縁起絵巻を中心に─研 究 者:神戸大学大学院 人文学研究科 博士後期課程  田 中 水 萌はじめに十三、十四世紀の絵画作品には十二世紀の蓮華王院宝蔵絵巻であると考えられる「年中行事絵巻」、「六道絵」、「吉備真備入唐絵巻」や「信貴山縁起絵巻」からの図像の継承が指摘される(注1)。例えば加藤悦子氏は「春日権現験記絵」(以下、春日験記)と「年中行事絵巻」との近似を指摘され、また鷹巣純氏によって河本家本「餓鬼草紙」殺身餓鬼に類する図像が禅林寺「十界図」地蔵幅(十三世紀)に見出され、さらに中野玄三氏によって北野天満宮「北野天神縁起絵巻」巻七(十三世紀、以下、承久本)への「沙門地獄草紙」解身地獄からの図像参照が指摘される。「春日験記」や禅林寺「十界図」には、他にもそれぞれ安住院本「地獄草紙」雲火霧処や河本家本「餓鬼草紙」第一、二段からの参照も見受けられる(注2)。このように宝蔵絵巻の図像や構図が、後の絵巻制作時に参照され取り入れられることがあったと考える(注3)。『考古画譜』には宝治年中(1247~49)に書写したという奥書を持つ「宇佐八幡宮絵詞」三巻が蓮華王院の宝蔵に収められていたという(注4)。それは『続群書類従』や『史籍集覧』所収の「道鏡法師絵詞」(以下、道鏡絵詞)を指す(注5)。上巻は詞書三段絵二段で、内容は『続日本紀』における恵美押勝の乱が中心であり、下巻は詞書四段絵三段で弓削道鏡践祚事件を中心としたものである(注6)。現存の八幡縁起絵巻は数多くの伝本が存在し、その内容は神功皇后の三韓征伐、八幡神の託宣利生記、各地への勧請譚となっており、詞書依拠資料として『八幡宮寺巡拝記』、『八幡愚童訓』が挙げられる(注7)。「道鏡絵詞」と現存諸本では和気清麻呂の宇佐宮参詣の段のみが両本に共通する話であるが、内容は大きく異なる。本稿では現存の八幡縁起絵巻諸本に「道鏡絵詞」との繋がりや宝蔵絵巻の継承が見出せないかを検討し、諸本の成立を、八幡縁起絵巻が広範に伝播したと考えられる室町時代以降の作品を除いた十四世紀の作例を中心に、現存する絵巻の図像との比較を通して探っていきたい。一、神功皇后と住吉明神の図像筆者はこれまでに八幡縁起絵巻の現存作例を確認し、諸本間での異同を概観した― 143 ―― 143 ―

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