鹿島美術研究 年報第35号別冊(2018)
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⑮日本陶磁における銀彩の美術史学的意義について研 究 者:東京国立博物館 研究員  三 笠 景 子はじめにいまや現代陶芸にも広く採用される金銀彩であるが、歴史をたどってみると、世界に先行して製陶を牽引した中国で取り入れられた例は限られている。さらに硫化(空気中の硫化水素と反応すること)して黒くなる性質のためか、銀が施された例はきわめて少ない。これは中国の直接的な影響を受けて高火度焼成の磁器生産が成立した朝鮮や東南アジア、ヨーロッパでも同様である。これに対し日本では、17世紀後葉に京焼と肥前磁器においてほぼ同時に上絵付けの技術が確立すると、すぐに金銀彩が導入される。とりわけ特徴的なことは、他の地域でほとんど採用されることがなかった銀も積極的に用いられたことである。本論では、これまで陶磁器の賦彩という点において主として着目されることのなかった銀彩を取り上げる。ただし、個々の作品について同一条件のもとに精確な分析を行うことが困難な現状もあり、賦彩の接着剤や展色剤、手法などの科学的情報は論拠としない。ここでは象徴的作例とその美術史学意義を概観するにとどめる。中国陶磁における金銀彩の意義日本の製陶や茶の湯の浸透に大きな影響を与えた中国陶磁であるが、金銀彩は絵付けの主役ではなく、基本的に副次的な装飾としてしか機能しなかった。また、銀が採用されたことはほとんどない。以下、各時代に金銀彩が施された中国陶磁の展開をたどる。1)唐、宋時代の様相唐宋時代の陶磁器における金銀彩のあり方は、この頃日用の器として台頭した陶磁器が高級な金銀器や漆器にいかに近づくか、その直接的模倣の過程において現れたものである。まず、華北の白磁生産をリードした定窯(河北省曲陽)や江南の青磁を代表する越窯(浙江省慈溪)では、晩唐五代の頃になると、当時人気を集めた金銀器を写した香炉や合子、水注など器種は多様化し、毛彫りや浮彫り、透彫りといった金属特有の装飾法をそっくり取り入れた。また、この定窯や越窯が唐や北宋の皇帝へ貢納した器には、口縁や底部に金銀の覆― 153 ―― 153 ―

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