鹿島美術研究 年報第35号別冊(2018)
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島津家のつながりから薩摩藩下の琉球経由でもたらされたのではないかという指摘がある(注5)。ここまで中国陶磁の金銀彩の展開を概観した。結論として、まず銀彩はほぼ採用されなかったこと、そして金彩は基本的に絵付けの最終段階に施されるもので、明、清の展開においては頽廃的、終末期的様相ともみえる。その一方で、対日本という視点では、金彩の器を積極的に受容する土壌が日本にあったことがあらためて浮彫りとなる。各時代の出土資料や文献による裏付けも合わせ、金彩が施された中国陶磁の受容については今後の課題としたい。日本陶磁における銀彩の意義一方、日本陶磁における金銀彩、とくに銀彩の表現には、中国陶磁のそれとは全く異なる展開がみとめられる。ここでは17世紀後葉の仁清、伊万里、そして最後に永樂和全の象徴的な作例を取り上げ、その特殊性について概観する。1)仁清にみる金銀彩日本の製陶に銀彩を取り入れた点でまず評価すべきは、京焼において色絵を大成した仁清(野々村清右衛門 生没年未詳)である。仁清は、正保4年(1647)頃に仁和寺門前に御室窯を開き、時を置かずに上絵付け(色絵)を手がけたとされるが、絵付けは狩野派や宗達派を学んだ専門画師が関わったであろうという絵画史的視点を中心に論じられてきたため、これまで金銀彩が注目されることがほとんどなかった。ここでは、仁清が金銀を用いて文様の輪郭をただ際立たせる手法だけでなく、「面」的な表現でたっぷりと塗り重ねたり、箔のように一様に薄く施したりして賦彩法を使い分け、そのために素地にも工夫を行った点に注目したい。まず、金銀を厚く塗り重ねた表現は、色絵茶壺の成熟期の作に位置づけられる東京国立博物館所蔵「色絵月梅図茶壺」〔図4〕に代表される。黒、紫、緑の上絵具で陰影豊かに描かれた幹や枝、壺の肩から胴裾にかけてたなびく源氏雲は、横方向の連続性に加え、奥行きをも感じさせるよう効果的に配される。さらにそれを際立たせるのが金銀彩である。雲と紅梅の輪郭を金でとり、月と白梅に銀をおくが、いずれも厚塗りである。また、雲は一つ一つ金泥で小さな正方形を「箔」風に塗り重ねることで立体的に表す。とりわけ銀で厚く塗られた月〔図5〕は象徴的であり、金板と銀板を貼り付けた日月山水図屛風の類を連想させる。「月梅図」― 157 ―― 157 ―

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