鹿島美術研究 年報第35号別冊(2018)
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⑯サン・ボネ・ル・シャトー参事会聖堂壁画様式研究レナート・ケーニヒ・コレクションno 4との比較─研 究 者:早稲田大学大学院 文学研究科 博士課程  勝 谷 祐 子1.問題の背景本稿はフランス、ロワール県に位置するサン・ボネ・ル・シャトー(Saint-Bonnet-le-Château)参事会聖堂壁画(以下「サン・ボネ壁画」と略)と、1410年代にパリで制作された時禱書の挿絵が同じ画家の手になることを論証するものである。サン・ボネ参事会聖堂では(注1)、1399年から1418年にかけて行われた改築工事の際、坂の斜面を利用した低層部空間に縦9メートル、横7メートルになる中規模の礼拝堂が建設され、12の壁面に新約聖書に取材する主題がテンペラと油彩を用いた混合技法により描かれた〔図1〕。壁画の制作年代は工事着手の年から寄進者の一人が没する1426年の間に限定され、画家は1416年から1420年にかけてこの地の納税者として名を残す画家ルイ・ヴォビズ(Louis Vobis)と推定されている(注2)。一時滞在者であることを示す “habitator” として記録されたこの画家は(注3)、どこで学んだ後サン・ボネへと辿り着いたのか。初期の研究では(注4)、イタリア絵画からの直接的、間接的影響が指摘されてきたものの、1959年に行われた三度目の修復工事(注5)を経て壁画がオリジナルの姿を現わした後は北方絵画の影響が強調されるようになる。フランソワ・エノーは、サン・ボネ壁画に国際ゴシック様式を認め、教会大分裂(1378-1417)の時代にヨーロッパ各地から画家を集めた国際都市アヴィニョンに出自をもつ画家によるものとした(注6)。ゲオルク・トロエッシャーは西壁に描かれた「聖母戴冠」の図像にランブール兄弟による『ベリー公のいとも豪華なる時禱書』(1411/1412-1416)の一葉(f.60v)からの影響を指摘し、人物の衣のデザインや豊富な金の使用、油彩により光を感じさせる色の効果から、アンドレ・ボーヌヴーやジャックマール・ド・エダンなどの傍で働いた画家であるとした(注7)。近年、フレデリック・エルシグはサン・ボネ壁画の天蓋部に描かれた「天使の奏楽」図像をサヴォワ公アメデ八世に仕えた画家ジャコモ・ジャケリオによるジュネーヴ、サン・ピエール大聖堂、マカベー礼拝堂壁画(c. 1415)に関連付け(注8)、サン・ボネの画家を聖コロンバ教会ケルン大司教区美術館所蔵の時禱書(パリ、1410年代;以下「ケルン写本」と略)に挿絵を施したアヴィニョン出身の画家と同一人物であると指摘した(注9)。― 165 ―― 165 ―─ 聖コロンバ教会ケルン大司教区美術館、

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