鹿島美術研究 年報第35号別冊(2018)
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先行研究の指摘に加え筆者の観察からは、サン・ボネの画家には、図像と様式の両面においてジャコモ・ジャケリオの初期作品との類似が認められると共に、アメデ八世のもとで活動したグレゴリオ・ボーノやジャン・バトゥー、ロヴァン・ファヴィエールといったアヴィニョンと関係の深いサヴォワの画家が1410年代から20年代に制作した作品との間に様式的共通点が認められる。サン・ボネの画家ルイ・ヴォビズが1377年に教皇庁に仕える写本画家として名を残すギヨーム・バルトロメ・ヴォビズの血族であるとすれば(注10)、アヴィニョンに生まれた画家は1400年頃からサヴォワの地に滞在し、上述した画家たちと近い環境で修業を経てパリに向かい、ベリー公周辺で活動した上でサン・ボネへと辿り着いた可能性がある(注11)。以上の仮説を論証するに当り、筆者は1390年から1440年代にかけてサヴォワとその近郊にて制作された写本彩飾(注12)、壁画(注13)、板絵(注14)、ベリー公周辺の画家(注15)による写本彩飾とサン・ボネ周辺域の壁画(注16)との比較分析を行い、ヨーロッパ南北の文化交流史のうちにサン・ボネ壁画の様式を位置付けることを試みた(注17)。ここにケルン写本とサン・ボネ壁画を手掛けた画家が同じ人物であると確認することは、異なる媒体を含む作品群との間に行われる本比較研究の起点となる。両者の一致はエルシグにより指摘されながらも具体的な分析はなされていない。以下に続く本論では人物頭部と着衣の襞の表現を比較しながら、両作品に共通して現れる特徴的な白によるハイライトの用法を明らかにすることにより、手の同一性を論証する。2.聖コロンバ教会ケルン大司教区美術館、レナート・ケーニヒ・コレクション no4本時禱書(注18)は縦158ミリ、横111ミリの羊皮紙201葉で構成され「パトモス島の福音書記者ヨハネ」(f. 13r)〔図2〕「受胎告知」(f. 25r)「ご訪問」(f. 52r)「降誕」(f. 65r)「三王礼拝」(f. 72r)「羊飼いへのお告げ」(f. 77r)「エジプト逃避」(f. 82r)「神殿奉献」(f. 87r)「聖母戴冠」(f. 95r)「磔刑」(f. 101r)「聖霊降臨」(f. 108r)「聖母子と寄進者」(f. 114r)「玉座のキリスト」(f. 119r)「死者のための典礼」(f. 140r)の挿絵が頁の上半分に施される。各挿絵には質のばらつきが認められるものの、様式は統一されているため、一人の画家の指示のもと複数のアシスタントが制作に携わったと考える(注19)。先行研究ではケルン写本挿絵の構図やモチーフについて、『ベリー公の小時禱書』(1375-1380, c. 1385-1390)(注20)との共通点が示され、ジャックマール・ド・エダンやナルボンヌの祭壇飾布の画家、アンドレ・ボーヌヴーの作品と結び付けられる(注21)。また筆者には『シャルル・ル・ノーブルの時禱書』(c. 1405)(注22)に一層― 166 ―― 166 ―

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