⑱ 王子稲荷神社と装束稲荷神社の凧市と火伏凧─日本の凧文化を支えるイベント─研 究 者:パリ・ソルボンヌ大学、国際日本文化研究センター 外来研究員はじめに現在、毎年2月の初午と二午・三午など午のつく日に、東京・北区にある王子稲荷神社と装束稲荷神社は同時に凧市を開催する。このイベントでは、凧工房は、王子稲荷神社の境内に出店して自分の凧を売って、神社務所も参拝者の家に吊るために火伏凧守りを売っている。今日の伝統によれば、この凧守りの力は1年限りであるので、毎年、参拝者が凧市に来て浄化のために古い凧守りを返して、新しい凧守りを買って、保護の力を取り戻す。その凧市は、王子稲荷神社の初午祭りと同じ日に開催されている。残念ながら、凧市を最も古くから開催している王子稲荷神社は、創業以来凧市の歴史を描くのに役立つアーカイブがなく、凧の形や絵柄がどのような進化を遂げたのかを示している資料もない。しかし、凧守りは既に2つの論文に記載されていた。一つは、1967年に日本民俗学の専門家である田中正明によって書かれたもので、もう一方は、2000年に北区飛鳥山博物館の学芸員中野守久が書いたものである。田中の研究は、凧の火防守護霊力に焦点を当てているが、中野の研究は、主に凧の作り方を明らかにしている。これらの先行研究と自分自身の調査に基づいて、凧守りとその製作者や、それら凧守りが販売される凧市を紹介した後、本稿は、比較的新しい伝統が日本の凧文化の保存において重要な役割を果たしていることを証明する。1.火伏凧の制作者現在、王子稲荷神社と装束稲荷神社で販売されている凧守の制作者は小野庄凧店である。その工房は3世代にわたって活動している。一代目は小野庄司氏(1897-1957)、二代目は小野孝巳氏(1922-)、三代目は小野隆史氏(1953-)である。その前は、東京・飯田橋にあった林商店が凧守りの生産を担当していたようだ(注1)。小野庄凧店は東京の北東部の江戸川区・平井にある。創業者の小野庄司氏は福島県出身であった。1920年代、昭和金融恐慌(1927年)のために、福島県を拠点にしていた家業は経済的に苦戦しており、小野庄司氏は仕事を探すために東京に来た。東京では、まず墨田区に身を落ち着け、その後江戸川区に移動したので、小野庄凧店が王子稲荷神社の近くに位置していたことはなかった。ではどのようにして王子稲荷神社の― 186 ―― 186 ―セシル・ラリ(Cecile Laly)
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