歴史と火伏凧の歴史についてのいくつかのヒントを提供している。まず、凧市で販売されている凧の説明では、火伏凧や凧守りへの言及がないので、凧市が始まったのは明らかに、神社で火伏凧が売られる以前のことであることが分かる。さらに、この記事がこれまでに発見された最古の情報源ではあるが、この時点で毎年凧市が開催されていた言及があり、この市が始まったのは、記事が書かれた1898年より、少なくともさらに何年か前であると推定できる。王子は江戸東京の名所の一つで、凧市は、当時人気のあった王子稲荷神社の初午祭りと当日には開催されたので、江戸東京とその名所を描いた以前の資料から、王子と凧について何か学べないだろうか?1834年に刊行された『江戸名所図会』では、王子の周辺と王子稲荷神社が描かれているが、特に凧は関係していない。王子稲荷神社の周辺の景色には、凧がまったく描かれていない。この本で王子の周辺が描かれるが、王子稲荷神社の近くにある金輪寺で1月17日に開催される宴会で、ある子供が奴凧を手にしているのを見ることができるくらいである。1856-58年に広重によって制作された『名所江戸百景』と名づけられた浮世絵の連作では、王子稲荷神社(18)が描かれた浮世絵が一枚、他には、飛鳥山北の眺望(17)、王子音無川堰棣 世俗大瀧ト唱(19)、王子不動之瀧(49)、王子瀧乃川(88)、王子装束ゑの木大晦日の狐火(118)の浮世絵がある。この6枚の浮世絵では、一つも凧を見ることができない(注12)。このように広重の作品でも、王子は凧と関連していないようだった。1870年代から、外国人も東京の名所について文章を書いていた。例えば、アーネスト・サトウ氏は、『A handbook for travelers in central & northern Japan』という本の中で、王子の周辺を記述し、王子稲荷神社について書いている(注13)が、神社の初午祭りや凧市について言及していなかった。以上が、凧についての言及のない王子の記述の3つの例であるが、さらに多くのものをリストに追加できる。1830年代、1850年代、1870年代の文書に凧市への言及がないことから、凧市はまだ存在していないと推測できる。凧市の始まりを正確に記述する資料がなく、最古の証拠が1890年代のものであるので、当時の王子周辺の地域の発展に、凧市の出現の説明を探してみよう。1873年に、渋沢栄一氏は、この周辺で紙文化の発展を促す王子製紙を設立した(注14)。そして、1883年に、上野から熊谷(埼玉県)を結ぶ路線の停車駅、王子駅がオープンした。このエリアを通過する最初の鉄道であった。このような変化によって、王子はアクセスが容易になり、すぐに村から製紙工場地区になった。一方、明治維新以来、王子稲荷神社の名所としての魅力は薄れていたようだが(注15)、当時、凧は、非常に人気のある正月の玩具だった。したがって、18世紀半から王子の有名なお土産であったキツ― 191 ―― 191 ―
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