鹿島美術研究 年報第35号別冊(2018)
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帝ナポレオン3世の命による特別展、「落選者のサロン」に展示した《草上の昼食》がパリの美術愛好家たちに強い印象を残していたのである(注3)。その騒動も冷めやらぬ中、マネが1864年のサロンに出品したのは、《死せるキリストと天使たち》〔図1〕と《闘牛場の出来事》〔図2、3〕の二点で(注4)、マネには珍しい宗教主題の作品と、闘牛場を描いたスペイン趣味の作品の組み合わせである。本節では主に前者についての批評を読み解き、同時代の社会状況と作品受容との関係を考察する。1864年のサロンの会期は5月1日から6月15日までであるが(注5)、早くも4月末にマネに関する批評が発表されていることも、その注目度の高さを裏付けているだろう。4月27日付の記事の中でフランシス・オベールは、「風変わりな者たち(les excentricités)」の一人としてマネを挙げ、「《炭塵のキリスト》と必ず呼ばれるだろう、石炭の粉を振りかけられたキリスト」と作品名を呼び替えることで、キリストの肉体が石炭で薄汚れているようだと、《死せるキリストと天使たち》の描き方を婉曲的に批判している(注6)。彼と同様の見解の批評家は多く、同時代を代表する文筆家、テオフィール・ゴーチエも不快感を隠そうとはしない。恐ろしいレアリスト、マネ氏の《キリストの墓所の天使たち》は全く異なる方式において構想された。[中略]マネ氏のキリストはこれまで、沐浴の作法を知らなかったようだ。彼の作品では、垢染みた半濃淡や薄汚れて黒ずんだ影に死斑が混入している。もし、このひどく腐敗の進んだ死体が復活するとしても、そうした汚れが洗い流されることはあり得ないだろう。天使の一人は鮮やかな群青色の翼を広げているが、彼らに天上的なところは何もない。この芸術家は、天使の類型を卑しき人間の水準より高く上げようと努力しなかったのだ。(注7)この批評には《死せるキリストと天使たち》に関する論点が集約されている。まず、決して朽ちるはずのないキリストの肉体が、腐敗したかのように彩色され、陰影表現も汚らしいという点。さらに、キリストに寄り添う天使たちが人間のように描かれ、卑俗に見える点が批判の的となった。ゴーチエ以外にも天使の翼に違和感を覚えた批評家はおり、エクトール・ド・カリアスは、「墓所の暗闇の中で奇妙な群青色をした翼が輝いている。キリストの膝のあたりで広がるバラ色の布地は何も説明していない」(注8)と述べ、マネの色彩表現の独自性に疑問を呈している。また、熱心なキリスト教徒で文筆家のラウル・ド・ナヴリは、「悪しき趣味の大胆さ、解剖学の否定、色彩の浪費、煤の乱用、そして『人間の子供たちの中で最も美しい』顔に貼り付― 208 ―― 208 ―

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