けられた醜悪さ」(注9)を《死せるキリストと天使たち》に認め、本来備えているべき威厳や聖性を感じさせないキリスト像を拒絶する。ド・ナヴリの苛立ちの原因を伝えるのは、「マネ氏の《キリスト》、あるいはルナン氏のために制作された《石炭の中から救い出される哀れな炭鉱夫》」(注10)という記述である。氏名不詳の批評家はキリストを炭鉱夫に見立て肉体の汚れを揶揄しているが、注目すべきは、「ルナン氏」のためにマネが作品を描いたとする箇所である。「ルナン氏」とは間違いなく、19世紀フランスの宗教学者エルネスト・ルナン(Ernest Renan、1823-1892)のことであろう。文献学に立脚し聖書の再解釈を試みたルナンは、1863年に発表した『イエスの生涯』において、聖書に現れた非科学的事象を退け、イエス・キリストを「比類なき人間」として捉え直すことを主張した(注11)。本書は刊行直後から注目を集め、1864年時点で十度以上も版を重ねたが(注12)、その内容は正統的なカトリック陣営の激しい反発を引き起こした。《死せるキリストと天使たち》に対する批判は、色彩や肉付け表現がアカデミックな規範に則っておらず、宗教主題に相応しい描き方をしていないという側面に留まらない。マネとルナンの描写するキリストの姿に共通点を見出した批評家たちは、反キリスト教的な画家の手によるものとして、本作に一層の批判を加えたのであろう。マネは前年のサロンに落選し、しかも「落選者のサロン」では低い評価しか得られなかったため、1864年のサロンには確実に入選することを願っていたに違いない。《闘牛場の出来事》に見られるスペイン趣味には、画家も自信を抱いていたと考えられる(注13)。その一方で、死せるキリストの姿を卑近な人間の死体のように描きサロンに出品すれば、ゴーチエの言うように「恐ろしいレアリスト」の仕業と見なされ、落選の可能性すら生じてしまうことも想像に難くないが、マネはどうしてこの二作品をサロンに出品することを決めたのだろうか。次節では、作品の着想源を出発点に、同時代資料の分析を通じてマネの出品意図を探ってゆく。3.マネの出品意図─プルタレス・コレクション売却とその記憶《死せるキリストと天使たち》の画面右下に描かれた二つの石のうち、左側の石を注視すると、表面に薄く刻まれた文字を読み取ることが出来る〔図4〕。そこには、「『ヨハネによる福音書』/20章、12節(évang[ile]. sel[on]. St. Jean / chap[ître]. XX v. XII)」と記されており、これはマネが明示した作品の典拠と捉えることが出来る。しかしながら、「ヨハネによる福音書」の当該箇所には、「イエスの遺体の置いてあった所に、白い衣を着た二人の天使が見えた。一人は頭の方に、もう一人は足の方に座っ― 209 ―― 209 ―
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