鹿島美術研究 年報第35号別冊(2018)
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㉑ 近世禅画における寒山拾得の形象研 究 者:学習院大学 文学部 助教  江 崎 ゆかりはじめに寒山拾得図は禅の好画題として数多く描かれた。賛に関しては、仏眼清遠(1067~1120)による「天台三大士像賛」(注1)が、画に関しては、伝梁楷画(MOA美術館)や石橋可宣賛のもの(個人蔵)が現存する早い時期の作例として知られる。元時代には、伝顔輝のものを始め、探幽縮図中にも載せられる少年のような姿をした寒山拾得を描いたもの、平石如砥・華国子文・夢堂曇噩による賛のある白描画の「四睡図」(東京国立博物館)など、様々な表現を見ることができる。日本では鎌倉時代以降、中国画を規範として描き継がれ、様々なヴァリエーションの図様が生み出された。また、寒山拾得にまつわる賛も、現存する作品に付されたものだけではなく、禅僧の語録などに数多く残され、その中には画には見られないような形象―賛中に表された絵画化され得る要素―を見出すことができる(注2)。近世においても、寒山拾得という画題は多くの絵師によって描かれた。本稿は、その中でも、白隠慧鶴(1686~1769)と仙厓義梵(1750~1837)の、いわゆる「禅画」における、寒山拾得図の様相を見ていきたい。近世には白隠、仙厓以前にも風外慧薫(1568~1654)や松花堂昭乗(1582~1639)、明誉古礀(1653~1717)といった僧侶によって絵画の制作が行われているが、とりわけ白隠や仙厓の絵画は、鎌倉、室町時代に禅僧たちによって描かれた絵画とは異なる性質を持つ。この性質の違いから、白隠や仙厓の作品は特に「禅画」と呼ばれ、本稿でもこれに倣うこととする。「禅画」の多くには賛が付けられるが、その訓読にあたって、白隠に関しては芳澤勝弘監修、花園大学国際禅学研究所編『白隠禅画墨蹟』(二玄社、2009年)、仙厓に関しては出光美術館編『出光美術館館蔵品図録 仙厓』(出光美術館、1988年)、中山喜一郎、福岡市美術館編『仙厓 その生涯と芸術』(『福岡市美術館叢書』2、福岡市美術館協会、1992年)を参考とした。白隠の寒山拾得図白隠は享保16年(1731)夏に『寒山詩』を講じ、その10年後の寛保元年(1741)に『寒山詩闡提記聞』(以下、『闡提記聞』と表記)の序を書き上げている。『闡提記聞』は、更にその5年後、延享3年(1746)8月に上梓された。同年、白隠は甲州笹子の宝林寺で『寒山詩』を講じ、会中、「観音十六羅漢図」〔図1〕を描き、住持の雪洲禅師に― 218 ―― 218 ―

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