贈っている。(注3)画面中央に横座りの観音、その周囲に羅漢、下部に軸を広げる寒山拾得とそれを見る豊干と虎が描かれる。本作と同様の図様を持つ龍泉寺本「観音十六羅漢図」(注4)には、豊干、寒山、拾得は描かれていないことから、宝林寺本の制作は『闡提記聞』の刊行、宝林寺での『寒山詩』の講読に由来すると考えられる。寒山拾得によって広げられた軸には「十六梵儀人若玉、百千尺練骨還寒、誰道度生願海深、塵縁絶処来偸閑(十六梵儀、人は玉の若し。百千尺の練、骨も還た寒し。誰か道う、度生の願海深しと。塵縁絶する処、来たって閑を偸む。)」と、救うべき衆生の住む「俗塵」から隔絶した場所で骨休めしている観音や「十六梵儀」の姿を表す賛が付されている。賛と呼応するように、画面上部に描かれた家々と観音たちのいる場所は墨線で区切られ、滝の流れ落ちる奥深い山中に観音たちが配されている。宝林寺本「観音十六羅漢図」に描かれた寒山拾得は、片方が垂髪の少年のような姿で、もう片方は蓬髪で頭頂部のみ禿げた姿で表されている。寒山拾得といえば、宝林寺本において蓬髪の人物が浮かべるような不気味な笑いというのが定型となっているが、少年姿の人物は目を伏せすましたような表情である。白隠画において、宝林寺本に描かれた人物と同様、目を伏せ穏やかな表情をした垂髪の少年といった姿で描かれるのが文殊菩薩である。例えば、齡仙寺所蔵の「騎獅文殊像」(注5)の賛には、「五台山独坐、国清寺顚狂、芥中劈白石、海底掬青霜(五台山に独坐し、国清寺に顚狂す。芥中に白石を劈き、海底に青霜を掬う。)」とある。「国清寺顚狂」とは寒山拾得を指し、賛では、文殊菩薩が応現するとされる五台山にありながら、寒山拾得の逸話の舞台である国清寺にも存在するという、遍在する文殊菩薩の姿を詠んでいる。このようなイメージは、閭丘胤が著したとされる『寒山詩』の「序」(以下、「序」と表記。)にある「寒山は文殊菩薩の化身であり、拾得は普賢菩薩の化身である」という記述を下敷きにしている。また、文殊菩薩を描いた白隠画の中には拾得の逸話を引いた賛(注6)が付けられている作品〔図2〕もある。白隠の寒山拾得図において、両者の姿形は区別されるものの、どちらが寒山、拾得なのかは曖昧にされている。或いは、不気味な笑いを浮かべた「風狂」の姿と穏やかな表情の「聖」の姿で寒山拾得を描くことで、文殊普賢の化身である寒山拾得の二重性を表しているのかもしれない。本稿では便宜上、少年のような姿の方を寒山、弊衣蓬髪の方を拾得とする。このような寒山拾得の図様は、白隠の寒山拾得図に共通している。いわゆる「軸中軸」と呼ばれる形式を持つ作品〔図3〕にも、軸を後ろから覗き込むように見る垂髪の寒山と軸の前に立つ弊衣蓬髪の拾得が描かれている。拾得は身を反らし、手を後ろで組むという可翁筆「寒山図」と同様の図様で描かれている。風帯や一文字、掛緒と― 219 ―― 219 ―
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