鹿島美術研究 年報第35号別冊(2018)
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(謝辞)これらのノウハウの蓄積は、その後の山名の作品に大きな影響を与えている。戦後の資生堂の広告は、イラストレーションと余白のレイアウトと文字のバランスが洗練され、見る者の視線の集中と誘導を軽やかに行なっている〔図18〕。また、山名は雑誌『宝石』の扉絵においても、白黒の配色のバランスの良さに優れた作品を生み出した。〔図19〕では、三重線の矩形内に眼や唇といった顔のパーツを大胆に配し、高度なレイアウト処理をしている。その印象的な唇は、かつて「映画女優の花唇」と表現した詩を想起させる。山名のデザインに対する意識は、日本工房での経験を経て、復社後の資生堂意匠部での仕事において深化した。小売店向け機関誌に見られるような商業美術に対する理論の蓄積は、後の広告表現を確立する下地となった。Ⅳ まとめ山名文夫のイラストレーションを、詩を含む様々な言説を拠り所にして検証を進めた。初期の作風は、竹久夢二への憧憬やビアズリーへの畏怖、そしてその追随からのスタートだったが、1920年代には、同時代の商業美術運動の隆盛を肌で感じ、プラトン社で山六郎と切磋琢磨しながら、モダンな感覚溢れる作品を生み出した。ただし、流行のモティーフや構図を表層的に借用するのではなく、自らの詩や言葉で理論補強しながら摂取していた点に独自性があった。とくに山名の詩は、「教養と知性の抑揚のきいた、品格さえ備えた質」(注27)を持ち、モティーフを読み解くヒントとなり、著作物や記事における言葉とともに重要な意義を持っていた。また、資生堂の小売店向け機関誌を参照することで、これまでとは違う角度から山名のデザイン理論への接近を試みた。そして、山名が店頭での販売・購入などの商取引の実際を想定し、視線の集中・誘導など、商業空間における広告の受容者の感性的な部分を捉えていた側面にも注目した。そのような理論の構築は、山名の意識が、文字とイラストレーションが融合した、総合的な広告表現へと最終的に向かうきっかけの一つになったに違いない。今回は、女性像、V字型、トランプのモティーフの考察に限定したが、他のモティーフについては改めて別稿で明らかにしたい。本調査にあたり、株式会社クラブコスメチックス文化資料室、資生堂企業資料館には、貴重な資料の閲覧をご許可いただきました。また同時に有益なご助言やご教示を賜りました。この場をお借りして厚くお礼申し上げます。また個々に名前を挙げるこ― 13 ―― 13 ―

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