鹿島美術研究 年報第35号別冊(2018)
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の持つ箒に仮託されている。以上のように白隠の寒山拾得図は大きく「軸中軸」形式の作品と「くり尊仏」形式の作品の2つに分けられる。どちらも、それまでに蓄積された寒山拾得イメージを元にしながら、それまでの寒山拾得図には見られない図様で描かれている。また、寒山拾得といえば、どちらがどちらとも見分けのつかない姿で描かれることが多いが、白隠の寒山拾得図では、一方が垂髪の少年のような姿、もう一方が弊衣蓬髪で不気味な笑顔を浮かべた姿というように、それぞれの姿が区別されている。このように、新たな寒山拾得図を生み出した白隠だが、白隠以後の禅画においては、どのような寒山拾得図が生まれたのか、まず白隠の弟子で松蔭寺住持を継いだ遂翁元盧(1717~1789)の寒山拾得図を見ていく。遂翁元盧の寒山拾得図遂翁の寒山拾得図の多くは、手を合わせたり月を指差す拾得や、経巻を広げたり岩壁に詩を書く寒山の姿など寒山拾得図の定型となっている図様が用いられている。また、賛の多くは「寒山詩」から引用されたものである。白隠からの継承という点で見ると、単純なことではあるが、白隠『荊叢毒蘂』に「四睡図」の題で所載される賛「四睡一睡、鼻息如雷、聞得分暁、寒拾再来」と同じものが、遂翁の「四睡図」(永明寺)の賛として使用されている。また、遂翁には「はきはきのけろ ほうきの守の 御通りじゃ ほんのもつたひも はきのけろ」と拾得の台詞のように書かれた賛が付される「拾得図」(早稲田大学會津八一記念博物館)がある。こういった作例は、例えば、白隠「すたすた坊主図」の賛に、すたすた坊主の口上が書かれたのと同様の趣向であろう。加えて、白隠の「軸中軸」と同じ形式の作品が遂翁の寒山拾得図(早稲田大学會津八一記念博物館)にもある。軸には白隠の「軸中軸」と同様、「家有寒山詩」から始まる「寒山詩」が書かれている。手を後ろで組む寒山と軸の後ろから覗き込む拾得が描かれる点は白隠の寒山拾得図と共通するが、巨大な箒の先に掛けられた軸は、風帯や一文字といった細部が描きこまれておらず、軸というよりは一枚の紙が掛けられているように見える。軸を見る寒山拾得の姿も、それぞれの姿が区別されておらず、両者とも唐子のような姿で描かれる。また、白隠画には、寒山拾得のトレードマークとも言える「不気味な笑顔」という要素があったが、遂翁の他、誠拙周樗(1745~1820)や弘巌玄猊(1748~1821)らによる白隠以後の寒山拾得図において、寒山拾得の笑顔からは「不気味さ」、「奇矯さ」といった要素は薄らいでいる。― 221 ―― 221 ―

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