案したものが賛として付されている。この歌は仙厓の家集『捨小舟』にも、「寒拾」の題で載せられる。賛というところで見ると、先の遂翁「拾得図」にあるような、賛を台詞のように書いた作例が仙厓にもある。福岡市美術館所蔵石村コレクションの寒山拾得図〔図10〕には、経巻を広げた寒山の上部に「南無からたんのふ」と賛が付される。「南無からたんのふ」とは「大悲心陀羅尼」の冒頭部分「南無喝囉怛那」のこと。「大悲咒」とも呼ばれる「大悲心陀羅尼」は、禅宗寺院では一般に読誦されている82句からなる陀羅尼で、これを誦すると無量無辺の功徳があるという。本図の経巻を広げた寒山は口を大きく開いており、まるで、「大悲心陀羅尼」を読誦しているようである。また、口をへの字に曲げ、地面を箒で掃いている拾得の隣には「そこのけそこのけ」と書かれている。拾得の持つ箒は「諸塵」を掃くものとして多くの賛に詠まれている。「諸塵」とは心性を汚し、煩悩を起こさせる原因の色・香・声・味・触・法の六塵のことをいうが、例えば、義堂周信(1325~88)の寒山拾得賛(注9)には「掃塵埃忙忙、不見天辺月。」と、箒に掃かれた塵によって、月が見えなくなったという表現が見られる。仙厓の描いた拾得も「そこのけそこのけ」と言って「諸塵」を掃き出しているのだろう。他にも、こちらに背を向けて経巻を開く寒山と、経巻を指差し覗き込んでいる拾得の姿が描かれた出光美術館所蔵の作例には、賛として「唵阿謨伽吠盧舎那摩賀母捺羅摩怩鉢都納入薄羅鉢羅韈利多野吽」と、「光明真言」が記されるものがある。「光明真言」は大日如来の真言、または一切諸仏菩薩の総呪で、その利益は計り知れないものとされる。このように、仙厓の描く寒山拾得図には、定型とは異なる図様や賛を見ることができるが、寒山拾得という画題の主題という点においても、仙厓は新たな一面を切り開いている。出光美術館所蔵の対幅の寒山拾得図、特に寒山図〔図11〕の賛と図様に注目したい。寒山は河童のように頭頂部が禿げ、両手で経巻を広げ、紐のついた腰蓑を付け、素足で立つという図様で描かれる。こういった図様を構成している要素は、MOA美術館所蔵の一山一寧賛の「寒山図」〔図12〕と一致する点が多い。また、それぞれの賛を見ると、仙厓の寒山図の賛には「大聖無聖、大智無智、終日看経、全不解義(大聖は聖無く、大智は智無し。終日看経するも、全く義を解さず。)」(下線部筆者)とあり、一山一寧の賛には「双澗聲中、五峰影裏、展此一巻経、且不識字義、一種風顚、世無比(双澗の聲中、五峰の影裏。此の一巻の経を展じ、且つ字義を識らず。一種の― 223 ―― 223 ―
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