風顚、世に比ひ無し。)」(注10、下線部筆者)とある。仙厓の「終日看経、全不解義」と一山一寧の「展此一巻経、且不識字義」という句は、寒山拾得の賛にはよく見られる表現であるが、「経を広げ読んではいるものの、その意味を解さない」という同じ意味を表す。このように、14世紀の寒山図と19世紀の仙厓の寒山図とで、いくつかの共通点を挙げることができるが、一見してわかる通り、それぞれの表現は全く異なるものである。一山一寧賛の寒山図には、頭や手足といった肉身部に淡墨の細線が、衣文線に濃墨の粗筆が用いられている。また、腰を支点に「く」の字を描く寒山のプロポーションと両手で大きく広げた経巻によって、円を成し、寒山の体と中央部がたわんだ経巻によって作られた空間へと入り込んでいくかのような構成となっている。一方で、仙厓はバレリーナのように左右のかかとをつけて、すっくと立った寒山の姿を素早い筆致で簡略に描いている。一山一寧賛のものが円の内側へと入り込んでいく構成であったのに対し、仙厓のものは縦の方向が意識されており、外へ開かれた構成となっている。このような表現上の違いに加え、寒山拾得のトレードマークともなっている「笑い」の質も、それぞれの寒山図で異なる。寒山拾得は布袋や蜆子と同じく、「散聖」という、正式な法系には属さないが、悟りを得た人々のグループに属する。多くは奇矯な行動や言動で知られるが、寒山拾得も「序」などの記述にあるような奇妙な言動や、その不気味な笑いから「風狂」という主題を表している。特に、その「笑い」は無象静照(1234~1306)の寒山賛(注11)に「深蔵笑裏刀」と表されたように、一筋縄ではいかない「笑い」である。一山一寧賛の寒山図において、顔のパーツは細筆で繊細に描かれ、隈取りも施されている。その表情は「風狂」というには穏やかだが、目尻は下がっておらず、口だけが笑った形をしているという、常人とは異なった笑顔であることは確かである。一方で、仙厓の描いた寒山は、まるで子供のような癖のない笑顔で描かれている。この屈託のない笑顔からは、それまでの寒山拾得図には必須であった「風狂」の要素は読み取れない。つまり、仙厓は画題における「風狂」という主題を乗り越えているのである。こういった表現は、仙厓が73歳、文政5年(1822)の款記のある、幻住庵所蔵の「寒山拾得・豊干図屏風」で標榜した「厓画無法」の境地にも繋がるものだろう。おわりに以上のように、「禅画」における寒山拾得図には、それ以前には見られない形象が表される。箒の柄の部分で栗を剥いていたり、酒を飲んでいたりする寒山拾得の戯画― 224 ―― 224 ―
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