鹿島美術研究 年報第35号別冊(2018)
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注⑴ 『仏眼和尚語録』(『古尊宿語録』巻30、卍続蔵68)。⑵ 査屏球・谷口高志訳「寒山拾得の受容とその変遷─五山禅僧の詩歌・絵画に見られる寒拾の形象と宋元禅文学の関係」(堀川貴司・浅見洋二編『東アジア海域叢書13 蒼海に交わされる詩文』、汲古書院、2012年)。⑶ 文政3年(1820)に龍澤寺から刊行され、大観文殊(1766~1842)の跋のある『龍澤神機独妙禅師年譜』(以下、『年譜』と表記)には、「秋、闡提記聞上梓。甲の宝林に抵って、初めて之を繙く。会中、自ら十六梵儀を絵いて、住持雪洲禅師に贈る」とある。「観音十六羅漢図」には「延享丙寅甲陽寶林道場書」との款記があり、『年譜』の記事にある「十六梵儀」を描いたものが宝林寺本にあたることがわかる。⑷ 龍泉寺本の賛には、「誰道度生願海深、飛泉声裏来偸閑」とある。款記には「丙寅秋書」とあり、⑸ 芳澤勝弘監修、花園大学国際禅学研究所編『白隠禅画墨蹟』禅画篇 204。⑹ 個人蔵「文殊菩薩像」(『白隠禅画墨蹟』禅画篇 212)の賛には、「奪却聖僧飯、鞭撻土神祗、依何而快活、胸中無寸絲(聖僧の飯を奪却し、土神祗を鞭撻す。何に依て而く快活なる、胸中寸絲無し。)」とある。「奪却聖僧飯」、「鞭撻土神祗」は共に「拾得録」の記述を基にしている。⑺ 慶徳寺蔵「豊干寒山拾得図」(『白隠禅画墨蹟』禅画篇 247)の軸中の賛は以下の通り。「此老五塵去、山中多所思、今円儀軌尊、相対涙痕垂(此の老、五塵を去るも、山中に所思多し。今、儀軌を円にして尊し、相対せば涙痕垂る。)」。⑻ 中本大「アトリビュートとしての「芭蕉題詩」─懐素図・寒山図から郭子儀図へ」(『アジア遊的な姿が特徴的だが、単にユーモラスなだけではない。白隠や仙厓といった禅僧の目的は禅の教えを広めることにあり、画はあくまでも手段である。彼らは、禅の核心を伝えるために画を描き、その理解を助けるために賛を用いた。賛文も漢詩だけではなく、仮名交じり文で書かれたものがあることからもわかるように、白隠や仙厓の絵画は、大衆へ向けての自身の宗教心の発露であり、それを機縁として悟道へと導くためのものであった。また、白隠の「軸中軸」の形式であったり、仙厓が賛として「経文」や「真言」を書くというのは、それまでとは異なる鑑賞方法を求めていることに他ならない。それは、鑑賞者が画中の寒山拾得に自身を投影して、「軸中軸」に書かれた寒山詩を見たり、「経文」や「真言」を声に出すといった体験を伴う鑑賞である。禅宗の中で形成された寒山拾得という画題は数多く描かれてきたが、その多くは「風狂」としての寒山拾得を描いたものである。しかし、白隠や仙厓の描いた寒山拾得図において、寒山拾得は「風狂」のモデルとしてではなく、白隠や仙厓自身の分身として画面に表されている。この点において、「禅画」の寒山拾得図は、画題の展開の中では特異な作品群といえるだろう。宝林寺本と同年に描かれたとこがわかる。学』122号、2009年)。― 225 ―― 225 ―

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