鹿島美術研究 年報第35号別冊(2018)
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注⑴ 山名は大正6年(1917)、大阪の赤松麟作の主宰する画塾で知己を得た朝田草太朗の紹介で、詩雑誌『CHOCOLATE』の同人になり、自らの詩や挿画を発表、翌年から編集発行人を務めた。⑵ 「学校が引けると、予習もほったらかしで、夢二の絵のついている雑誌をひらき、画用紙を取り出して模写を試みたものである」(山名文夫『体験的デザイン史』ダヴィッド社 昭和51年(1976)p. 111)と回想している。⑹ 『山名文夫とアール・デコ ─資生堂スタイルの確立者─』群馬県立館林美術館、平成27年⒆ 山名文夫「小売店と広告美術」『チエインストア研究』第11号 昭和11年(1936)5月⒇ 前掲『体験的デザイン史』 p. 124 前掲『体験的デザイン史』 p. 63 山名文夫「商品の陳列と店舗装飾」『資生堂チェインストア アルマ・メイター』第1巻第2号 ⑶ 明治43年(1910)6月号に5点、明治44年(1911)9月号に10点のビアズリーの作品が紹介さ⑷ 『研究紀要おいでるみん』vol. 18 株式会社資生堂 企業文化部 平成17年(2005)⑸ 小野高裕、明尾圭造、西村美香『モダニズム出版社の光芒─プラトン社の1920年代』淡交社 平⑺ 『朝日グラヒック裏広告』大阪朝日新聞社 大正11年(1922)⑻ 親会社である中山太陽堂のPRを担うべく、大正11年(1922)から昭和3年(1928)にかけて刊⑼ 山名文夫「カット断想」『アフィッシュ』第3年第1号 昭和5年(1930)⑽ 山名文夫『カフェ・バー・喫茶店広告図案集』誠文堂 昭和5年(1930)⑾ 『宣伝』第8720号 昭和16年(1941)12月(川畑直道編『山名文夫』ggg Books別冊3、DNPグラ⑿ 前掲「カット断想」⒀ 前掲『体験的デザイン史』 p. 112⒁ 前掲『体験的デザイン史』 pp. 79-84 ⒂ 創業者である福原有信が目指した理念を、福原義春氏が纏めた言葉(資生堂企業文化部編『創ってきたもの伝えてゆくもの 資生堂文化の一二〇年』資生堂、平成5年(1993)、p. 253)。現在にまで継承され、資生堂の企業文化を育む原点となっている。⒃ 資生堂の小売店の名称は時代と共に変化している。「チェンストアー」から「チェインストアー」「チェーンストアー」などを経て昭和14年(1939)に「チェインストア」となり現在に及んでいる。機関誌においても文言は変化し、『チエインストア研究』は昭和13年(1938)からは『チェインストア研究』に変更された。⒄ 昭和13年(1938)以降、『資生堂チェインストア アルマ・メイター』にその役割が引き継がれ⒅ 山名はこの期間、昭和4年(1929)から昭和7年(1932)まで、また、昭和11年(1936)からとの出来なかった関係者の方々にも深く感謝申し上げます。れた。成12年(2000)(2015)4月25日~6月28日行された。フィックデザイン・アーカイブ 平成16年(2004) p. 43所収)た。昭和18年(1943)まで資生堂に在職していた。― 14 ―― 14 ―

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