㉒ 国画創作協会の画家におけるイタリア美術受容をめぐる研究─吹田草牧を中心として─研 究 者:関西大学 非常勤講師 豊 田 郁はじめに吹田草牧(1890-1983)は、大阪府大阪市に生まれ、竹内栖鳳や土田麦僊(1887-1936)に師事し、大正7年(1918)に結成された国画創作協会(以下、「国展」とする)において、《真鶴の二月》《醍醐寺泉庭》など風景に真摯に向き合った作品を発表して、「近代日本画を彩る大輪は得られなかったが、純粋な精神と真摯な生き方に反映された素朴な花々が生まれている」(注1)と評価される日本画家である。本研究では、草牧が大正11年(1922)から大正12年(1923)にかけて、麦僊、小野竹喬(1889-1979)、野長瀬晩花(1889-1964)、入江波光(1887-1948)といった国展の画家たちと同時期に滞欧したこと、敬虔なクリスチャンであったことに着目し、国展の画家たちにおけるイタリア美術の受容とその変遷を明らかにするため、草牧におけるイタリア美術受容について検討を加える。そのため、第一に、草牧とイタリア美術に関する文字資料を整理するとともに、草牧がイタリアで制作した作品や模写を分析する。第二に、草牧のキリスト教理解と信仰について考察する。第三に、草牧におけるイタリア美術の受容と、麦僊、波光とを比較検討する。以上から、国展の画家たちの画業においてイタリア美術がどのように関わっているのかを考察したい。1 草牧におけるイタリア美術受容1,文字資料の分析草牧のイタリア滞在は、大正11年(1922)10月2日から翌年1月27日までの約4ヶ月間にわたる。フィレンツェ、ローマ、ナポリを中心に、ミラノ、パドヴァ、ヴェネツィア、アッシジなどを訪れた。この時期に草牧が記した膨大な書簡や日記(注2)においては、草牧のイタリア美術に対する関心・理解が窺える文章を確認できるので、以下に引用して検討を加えたい。まず、草牧はイタリア中世末期の画家ジョット(Giotto di Bondone 1267頃-1337)を熱心に見たことが理解できる。パドヴァ、スクロベーニ礼拝堂では、「キリスト伝」(1304~05年)を実見し、《キリスト降誕》〔図1〕《ピエタ》〔図2〕を模写した。《ピエタ》の「絵の構図と色彩との隙間のないのを、描きながらつくづく感心した。ジ― 230 ―― 230 ―
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