鹿島美術研究 年報第35号別冊(2018)
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草牧の茶色を基調とする色調とは違いがみられる。最後に、渡欧は断念したが、国展を代表する画家の一人であり、波光とも親しかった村上華岳(1888-1939)は、《聖者の死》や《裸婦図》において、ジョットやフラ・アンジェリコ、レオナルド・ダ・ヴィンチ(Leonardo da Vinci 1452-1519)らの作品から学び、《裸婦図》では神秘的な女性像に聖母の姿を投影させていることが明らかになっている。華岳はジョットについて、画因からくる趣味よりも「中世の純一な信仰」に興味を持ったと述べている。麦僊も当初はジョットに関心を示しており、草牧、高倉はジョットを高く評価したことから考えると、大正期の日本において、ジョットは特別な画家として崇拝されていたのかもしれない。おわりにこれまで日本画における西洋美術受容に関する研究は、フランス美術に偏重しており、イタリア美術はそれほど注目されてこなかった。しかし、本論で草牧におけるイタリア美術受容を掘り下げて考察することによって、国画創作協会の「新しい日本画」制作にイタリア美術が果たした役割について、第二世代の画家の立場から裏付けることができた。以下、概要を記したい。まず、草牧はルネサンス以前のジョットやジョッテスキ、キリスト教以前のフレスコ壁画に、プリミティブな価値を見出したことが理解できた。ジョットの画面構成や色彩に「力」を見出す一方で、前近代の文化生活が生み出した、豊かな色彩による自由で明るい絵画を称賛し、色彩の対比と調和を模索していたことがうかがえた。《ポジリポの漁家》における、茶色を基調とした画面に青、赤、緑といった鮮やかな色を加えた彩色には、模索の結果が反映されているのではなかろうか。ついで、草牧の信仰については、同時代のカトリックの形式ばった態度を「虚偽」と感じて、「プロテスタントの信仰と芸術との板ばさみになって苦しんで居た」ことが理解できた。最後に、国展の画家たちと草牧とを比較すると、麦僊、華岳、草牧はジョットに関心を示したが実見した評価は分かれたこと、イタリア美術を実見した麦僊、草牧、波光はポンペイの壁画の色彩表現に感銘を受けたことが見出せた。麦僊、草牧は、帰国後、色彩豊かな《舞妓林泉図》や《醍醐寺泉庭》を描いているが、イタリア美術は明るく鮮やかな色彩表現の契機となったのではなかろうか。また、前近代の文化生活に純粋さや自由さを見出したことが、古典に回帰する方向へと向かわせたとも考えられる。この点は今後より研究をすすめていきたい。― 236 ―― 236 ―

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