㉓ アルテミジア・ジェンティレスキのナポリ時代におけるトスカーナとの関係研 究 者:東京藝術大学大学院 専門研究員 川 合 真木子はじめに本稿では、17世紀イタリアの女性画家アルテミジア・ジェンティレスキ(1593-1654以降)のナポリ時代の画業を取り上げる。ローマに生まれたアルテミジアは、フィレンツェ、ヴェネツィア等で活動した後、晩年はナポリを拠点とした。カラヴァッジズム全盛期のローマで培われたアルテミジアの初期様式はよく知られており、彼女のイメージを決定づけていると言っても過言ではない(注1)。しかし、ローマで生まれ育ったこうした画家のイメージとは裏腹に、彼女のルーツはトスカーナにある。トスカーナの人脈や絵画伝統は、ナポリでの制作活動にどのように関わっていたのか、以下に述べる。1.ジェンティレスキ一族とトスカーナアルテミジアの父オラツィオはピサの出身であり、さらに祖父はフィレンツェの出身であった。従って、ジェンティレスキ一族の出自はトスカーナに求めることができる(注2)。オラツィオは長らくローマで活動しており、同地のフィレンツェ人コミュニティのためにいくつかの作品を制作するなど、トスカーナを離れていても同郷人との関係を保っていた(注3)。アルテミジア自身も結婚を機にフィレンツェに移住し、メディチ家の宮廷で活動するなど、トスカーナの文化や絵画伝統に直接触れる機会を持った。また、彼女がフィレンツェ時代に築いた人間関係は、ナポリ移住後も続いていたことが、残された書簡からわかる(注4)。さらに、ナポリで亡くなったと見られるアルテミジアの墓は、18世紀に書かれた伝記によれば、かつてサン・ジョヴァンニ・デイ・フィオレンティーニ聖堂にあったとされている(注5)。この記述は、長らく別の伝記に引用される形で知られており、この記述の信憑性については、研究者間でも意見が分かれている(注6)。ジェシー・ロッカーは近年、伝記研究を通して、アルテミジアの顕彰が行われたのが主に18世紀のトスカーナであった点を指摘し、墓所の記述に関しても信憑性が高いと述べている(注7)。2.ナポリのフィレンツェ人コミュニティとアルテミジアの関係アルテミジアの墓があったとされるサン・ジョヴァンニ・デイ・フィオレンティー― 240 ―― 240 ―
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