鹿島美術研究 年報第35号別冊(2018)
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ニ聖堂は、「フィレンツェ人たちの聖ヨハネ」というその名の通り、ナポリに住むフィレツェ人たちの集う教会であった。従ってアルテミジアは、ナポリに存在したフィレンツェ人コミュニティともつながりを持ったと考えられるが、この点は、これまで検証されてこなかった。今回筆者が行った調査によれば、同聖堂に集ったフィレンツェ人たちの幾人かは、彼女の作品受注に関わっていた可能性がある(注8)。例えば、1636年のリヒテンシュタイン公カール・オイゼビウス(1611-1684年)の注文を取り上げてみよう。彼は芸術愛好家として知られ、アルテミジア・ジェンティレスキに3枚の絵の代金として総額600ドゥカートを支払っている(注9)。ロレンツォ・カンビとシモーネ・ヴェルツォーネに250ドゥカート。また彼らを通じてアルテミジア・ジェンティレスキへ。彼らは300ドゥカートを分割で払うこと。残りの50ドゥカートについては、彼女(アルテミジア)は現金で受け取った。彼らは私が令名高きリヒテンシュタイン公カール・オイゼビウス様(注10)からうけた指令の600ドゥカートの名目で、《バテシバ》、《スザンナ》、《ルクレティア》よりなる3枚の絵の代金としてこの300ドゥカートを支払うこと。絵はそれぞれ高さが11パルモ半であり、完璧に届けられるべきものである。(以下略/下線部は執筆者による強調)(注11)アルテミジアが描いたとされる作品は、現在確認されておらず、失われたと見られる。おそらく、1995年にロンドンのオークションに登場した《スザンナの水浴》〔図1〕やコロンバス美術館にある《バテシバの水浴》〔図2〕、ポツダムのノイエス・パレにある《ルクレティア》〔図4〕や《バテシバの水浴》〔図5〕などが、カール・オイゼビウスの注文した絵画の図様に近いと思われる(注12)。ここで、カール・オイゼビウスの支払いを仲介しているロレンツォ・カンビとシモーネ・ヴェルツォーネという人物に注目したい。これまで、このふたりは、ナポリにおけるカール・オイゼビウスの代理人であると認識されてきたが、筆者の調査の結果、彼らの名前は共にサン・ジョヴァンニ・デイ・フィオレンティーニ聖堂に保管される洗礼記録に登場することが判明した。洗礼記録によれば、カンビはフィレンツェ人であり、おそらくフィレンツェの高名な銀行家カンビ一族の出身である(注13)。一方ヴェルツォーネは、当時トスカーナ大公国の一部を構成していたプラートの出身である(注14)。これまで顧客側の代理人とされてきた彼らが、ナポリのフィレンツェ人コミュニティの一員であったことが明らかになったため、むしろ、受注者であるア― 241 ―― 241 ―

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