鹿島美術研究 年報第35号別冊(2018)
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㉔ エミール・ガレとドイツの博覧会─ミュンヘン、ダルムシュタット、フランクフルトを中心に─研 究 者:北海道立近代美術館 学芸員  松 山 聖 央1.はじめに─問題の所在と本研究の目的エミール・ガレは19世紀末のフランスを席巻したアール・ヌーヴォーを代表する作家として、ロレーヌ地方のナンシーを拠点に活動した。ガレは、ガラスや陶器、家具の分野で、新しい技法による斬新な作品をつぎつぎに生み出したが、その作品発表の場となったのが、19世紀後半にヨーロッパ各地で開催された博覧会であった。先行研究では、とりわけ三度のパリ万博(1878年、1889年、1900年)での成功がしばしば取り沙汰され、出品作品についても写真やパンフレットなどから知られてきた。しかし、それ以外の小規模な博覧会については、これまで十分な検証が行われてきたとはいえない。筆者は、ガレの創作活動の集大成であると同時に、アール・ヌーヴォーという潮流そのものが頂点を極めた1900年パリ万博の3年前から、ガレが集中的にドイツの博覧会に出品していたという事実に注目し、これまでにミュンヘンでの二度の芸術展(1897年、1898年)の出品作品を公式目録から確認した(注1)。本研究では、その続編として、これらミュンヘンへの出品作品を具体的に同定し、さらに同時期のダルムシュタットへの出品についても同様に確認することを目指した。そして、こうした出品状況を詳らかにすることで、1890年代の終わりに際立って集中しているドイツの博覧会への参加をどのように位置づけることができるのかを考察した。2.ドイツ出品モデルの同定冒頭で触れたとおり、筆者はこれまでに1897年の「第7回ミュンヘン国際芸術展」(以降「ミュンヘン展」とする)と1898年の「国際芸術展『分離派』」(以降「分離派展」とする)については、すでに公式目録から出品作品のタイトルを確認した。ただし、目録は文字情報のみであったため、それらがどのような作品かをただちに知ることはできなかった。またガレの場合、工芸というジャンルの特性上、多くの作品は2点以上制作されており、博覧会出品作品とまったくの同一物を特定することは難しい。そのためこの調査では、同じデザインや形態、すなわち同一「モデル」に基づいた作品を同定している。― 249 ―― 249 ―

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