鹿島美術研究 年報第35号別冊(2018)
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― 256 ―― 256 ―器、貴金属、ジュエリーについて言えば、全般的な印象として、ただ酔狂な好き放題をしているという感が残るのみである。これらの『小芸術的産物』を芸術的工芸作品としてまともに受け取ることはできない。それらは、手遊びの産物、トリック、間違い、混乱でしかないようなものに、よさそうに見える主題を与えることで無理矢理『日用品』に仕立てあげようとするただの幻想である。」Georg Fuchs “Secessions ─ Ausstellung in München 1898” Deutsche Kunst und Dekoration, Bd. II, IX, Juni, 1898, S. 316.前の記事では、「工場の大量生産品」とは一線を画す芸術性の高さが評価されていたが、対照的にこの記事では、それが「酔狂な好き放題」として非難の的となっている。世紀末のヨーロッパで同時多発的に興った「新しい芸術」や「工芸・装飾芸術の地位の向上」という潮流にも、地域ごとに方向性の違いがあったが、フランス語圏ではまさにガレが目指したように、地位の低かった工芸品を絵画や彫刻に並び立つ芸術の領域へと押し上げようとする傾向が強かったのに対し、ドイツ語圏ではむしろ生活に浸透したデザインの質をいかに向上させるかということが問題となった。この評は、こうした両地域の芸術観の違いを反映するように、日用品としての機能を度外視して芸術性の強化にのめり込みすぎているように見えるフランス・ベルギーの工芸に対するドイツ側の拒絶をあらわしている(注10)。紙幅の関係上、ここですべての評を紹介することはできないが、他にもDie Kunst für Alle(万人のための芸術)やKunstchronik. Wochenschrift für Kunst und Kunstgewerbe(芸術時評 芸術と工芸についての週刊誌)、Die Kunst unserer Zeit(われわれの時代の芸術)などの雑誌にもガレへの言及が見られた。内容は賛否両論多岐にわたっており、同じドイツ国内でも意見が分かれていたことがうかがわれる。ミュンヘン展では小芸術部門で唯一金メダルを獲得し、ダルムシュタット展では唯一の外国人作家として一部屋が割り当てられていたことなどから、ガレに対する一定の評価と敬意があったことは間違いないが、他の都市での博覧会の評や記事を掲載したそれぞれの媒体や評者の傾向も踏まえて、今後より詳細に分析する必要があるだろう。5.結びにかえてここまで見てきたとおり、本研究によって、ガレがミュンヘンとダルムシュタットに出品したモデルの一部が新たに同定されるとともに、ドイツの博覧会へのガレの進出が、ビジネス上の戦略、1900年パリ万博への布石、政治的信条の表明といった複数

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