鹿島美術研究 年報第35号別冊(2018)
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注⑴松山聖央「エミール・ガレのドイツへの出品作品に関する研究⑴第7回ミュンヘン国際芸術展の要素が交差する局面において実現したことが明らかになった(注11)。またパツァウレクによれば、1897年ミュンヘン展や同年のフランクフルトの委託販売店開設をきっかけに、ガレはドイツでも一般的な知名度を得て、その作品をつうじて東アジアの芸術がヨーロッパの芸術にとってもつ意味がドイツでも理解されたり、ガレを愛好してフランス語の銘を自作に刻むマイゼンタールの工房クリスティアン・ウント・ゾーンChristian & Sohnが現れたりと、その影響が見られた。したがって、ガレのドイツ進出は、ガレ自身の創作活動を跡づけるうえでも、ドイツの世紀末芸術の展開を考えるうえでも、見過ごせない要素であったといえる。さらに視野を広げれば、たとえば近年の研究においても、ドイツの分離派のあいだで、同時代のフランスの芸術、とくにバルビゾン派と印象派が注目を集めており、ガレのみならず、少なからぬフランス人が、分離派によって組織されたドイツの展覧会に参加したことが明らかにされている(注12)。19世紀末のヨーロッパにおいて、国や言語圏、グループといった境界を超えて、あるいはそれらが接するところで、どのような芸術的混淆が生じていたのかを明らかにすることは今後の重要な課題であり、本研究もその一端に位置づけられる。謝辞本研究にあたり、ナンシー派美術館のヴァレリー・トマ氏、ブランディーヌ・オッター氏、北澤美術館の池田まゆみ氏、サントリー美術館の土田ルリ子氏、久保佐知恵氏、飛騨高山美術館の水野慎子氏には、作品調査の対応や資料提供を快くお引き受けいただき多大なご協力をいただきました。また、中央美術史研究所(ミュンヘン)、バイエルン州立図書館、ミュンヘン市立美術館、マティルデの丘美術館、デュッセルドルフ美術館、フランクフルト応用美術館図書室、オルセー美術館図書室、フランス国立美術館連合の各機関にも、温かいご支援をいただきました。記して感謝いたします。(1897年)および国際芸術展「分離派」(1898年)について」『北海道立美術館・芸術館紀要第26号』、北海道立近代美術館ほか、2017年、35-42頁。⑵ガレは、1884年の装飾美術中央連盟展の出品に際して、審査員に向けた作品解説を自ら書いている。そこでガレは、「もの言うガラス Verrerie Parlante」という節を設け、「フランスの詩人や伝説から借りた装飾的モティーフ」を紹介している。(Emile Gallé, “Huitème exposition de lʼUnioncentrale des Arts décoratifs (1884)”, in: Emile Galle, Écrits pour lʼArt, Marseille: Laffitte Reprints,1980, p. 316)― 257 ―― 257 ―

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