(1)西大寺流の文殊菩薩作例他に、南北朝時代の作例ではあるが、貞和4年(1348)に康俊が造像した宮崎・大光寺像の文殊菩薩は袈裟をまとっている。2.文殊菩薩に舎利を籠めることについて鎌倉時代の文殊菩薩作例のうち、像内に舎利を籠める像が確認できる。現在は像内から取り出している場合もあるが、近年ではX線撮影などの科学的調査手法によって、納入品の有無や概形を知ることができ、場合によっては材質がある程度推定できることもある。次に五尊形式の作例を中心にそれらをまとめておく。まず、奈良・西大寺像についてみていく。西大寺像の文殊菩薩像内には数多くの納入品が納められていた(注18)。そのうち、舎利ないし舎利に関するものは次の通りである。①水晶五輪塔(舎利入り)一基、②錦裂包舎利(舎利三粒・同二七三粒)二包、③伝行基菩薩御骨一包、の三種類の舎利である。特に①水晶五輪塔が金銅筒形容器に納められていることは特徴的な納入方法である。これに関連して、金戒光明寺像がX線撮影の調査の結果、文殊菩薩の頭部内に西大寺像と同様、水晶五輪塔を入れた金銅筒形容器が納められていることが淺湫毅氏によって明らかにされた(注19)。淺湫氏はこの納入状況の共通性の高さから、金戒光明寺像が西大寺流の影響下で造像された可能性を指摘している。また、文殊五尊の作例ではないものの、近年、像内納入品の存在が確認された、13世紀後半の造像と考えられる奈良・法華寺像にも触れる必要がある。法華寺像は奈良教育大学及び奈良国立博物館の共同調査によるX線撮影及びファイバースコープを用いた観察によって、頭部内に舎利やその容器が、体部内の底部に折りたたんだ紙のようなものや複数の巻子状の納入品が認められた(注20)。このうち、頭部内に納められた舎利ないし舎利に関するものが数点認められ、そのほとんどが金属製や水晶製とみられる舎利容器であることは注目される。すなわち、舎利を容器に入れて像内に籠めるという特徴が認められる。また、法華寺は周知の如く、鎌倉時代に西大寺の叡尊が再興した寺院で、そのことと相俟って、本像も西大寺流の影響下で作られたことが指摘された。以上のように、西大寺流における文殊菩薩像への舎利納入については、水晶五輪塔や金銅筒形容器が用いられた共通性が認められる。一方で、同様に文殊菩薩へ舎利を― 266 ―― 266 ―
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