㉗ 近世源氏絵にみる新図様の形成と『源氏物語』注釈─土佐派から住吉派への展開をめぐって─(一)光吉源氏・光則源氏における場面選択の相違(1)光吉による〈集大成〉と光則による〈再発掘〉研 究 者:学習院大学大学院 人文科学研究科 博士後期課程 菊 地 絢 子はじめに本研究は、近世、主に17世紀の源氏絵を対象に『源氏物語』の〈読み〉(=解釈)がどのように絵画化の局面に投影され、いかなる場面を形成していくかを、住吉派の誕生を起点に考察するものである。まず、新しい源氏絵図様を展開させたとされる土佐光則の源氏絵図様にみる物語解釈の在り方を解析し、次に、その光則に影響を受けた各流派での源氏絵図様、とりわけ住吉如慶に注目する。光吉の集大成と光則の新図様展開を承けつつ、住吉如慶はどのような源氏絵へと向かったのか。源氏絵における土佐派から住吉派への展開を輪郭づけることを目指したい。源氏絵色紙の図様系譜においては、土佐光吉(1539-1613)が室町時代から桃山時代の扇面・色紙絵の図様を整理し新しい構想や構図法を加えて図様定型を集大成させ、次なる展開として土佐光則(1583-1638)がさらに新しい図様形成を試みたことが多くの研究者の間で定説とされてきた。だが筆者は、新しく作り出されたとされる光則の図様の多くが土佐派粉本中に見出されることに注目し、光則は、光吉による図様の集大成に選ばれなかった図様を積極的に選択し、それを洗練させ自らの様式下に置いたのではないかと考える。すなわち光則による図様の〈再発掘〉というべきものとかねてより指摘している 。本章では、光吉による〈集大成〉と光則による〈再発掘〉、それぞれの図様の整理を行い、まずは場面選択の相違を明らかにする。加えて、光則図様にみられる『源氏物語』の〈読み〉を、とりわけ同時代の注釈書との関係に答えを求め、光則と同時代に活躍し細川幽斎(1534-1610)に学んだ歌人、中院通勝(1556-1610)の『岷江入楚』慶長3年(1598)を取りあげ考察を行う。光吉による土佐派図様の集大成を考えるために、光吉以前の室町期の源氏絵として広島県浄土寺蔵(以下、浄土寺本)、永青文庫蔵(以下、永青文庫本)の《源氏物語扇面貼交屛風》を、光信源氏として土佐光信筆《源氏物語画帖》永正6年(1509)/― 284 ―― 284 ―
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