(2)京都市立芸術大学芸術資料館蔵『土佐派絵画資料』室町後期(ハーバード大学美術館蔵 以下、ハーバード本)を、光吉源氏として土佐光吉・長次郎筆《源氏物語画帖》(京都国立博物館蔵 以下、京博本)、同じく光吉筆《源氏物語画帖》(和泉市久保惣記念美術館蔵 以下、久保惣手鑑)を、光則源氏として土佐光則筆《源氏物語画帖》(徳川美術館蔵 以下、徳川本)ほか諸作品を検討した。室町期の源氏絵の様相を示す作例である浄土寺本、永青文庫本の図様の多くは、光吉を経て定型として後世にまで描き継がれており、源氏絵の図様形成を考える上で重要な作例に位置づけられる。特に、浄土寺本は1帖につき複数場面を持つものがある一方で、全く選ばれていない帖が14帖あり、当初54帖全てに複数場面を描く大規模なセットであったことが指摘される。光吉が浄土寺本を含む室町期の膨大な場面を整理し、再構成の上で集大成させた図様こそが、京博本や久保惣手鑑などの作品を経て、土佐派の源氏図様として定型化したものである。土佐派源氏絵の図様定型は光吉が〈集大成〉したとされるが、絵と詞書を備えた現存最古の源氏物語画帖である光信筆のハーバード本も場面としては定型をとっており、光吉の集大成の偉業は〈再構成〉によるところが大きい。そして光則の新しい図様とは、光則がまったく新しく生み出した図様と言うよりは、例えば徳川本「松風(18)」〔図1〕〈大堰の山荘より帰ろうとする源氏を乳母、姫君を抱いて見送る。明石の君は几帳の陰に伏す〉や「胡蝶(24)」〈玉鬘のもとを訪ね、言い寄った源氏、帰り際に御簾を引き上げ、前栽の呉竹に寄せた歌を詠みかける〉に出現するように、光吉経由で定型化した図様の一方で光吉系には取り入れられなかった図様群のうちから再びにして取れられたもの―すなわち、浄土寺本や光信本からの〈再発掘〉―と言える図様が大半である〔表1〕〔図2〕。光則は、浄土寺本、永青文庫本以外にも、再発掘にあたってより多くの場面を参照していたことが推察され、未だ先行する図様が確認できていない図様でさえも、同様に先行図様を持っていた可能性が高い。光則のいわゆる〈新図様〉が後世定型化するのは、実はこのような先行図様という保証も作用したのではないだろうか。光吉の集大成した図様が土佐派源氏絵の伝統的な定型図様として認められる一方で、光則は新しい図様の形成を試みる。だが先にも指摘したごとく、光則による新しい創出とされる図様の多くは、その祖型を光吉以前の源氏絵にもつ。さらに、室町期の源氏絵を代表する浄土寺本、永青文庫本、ハーバード本にみる場面選択の多くが、― 285 ―― 285 ―
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