鹿島美術研究 年報第35号別冊(2018)
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(3)光則源氏の『源氏物語』の〈読み〉京都市立芸術大学芸術資料館蔵『土佐派絵画資料』や東京藝術大学大学美術館蔵『住吉家粉本類』中の源氏絵にも現れていることは看過できない。京都市立芸術大学芸術資料館蔵『土佐派絵画資料』は、1枚の台紙に数種の画帖サイズの粉本が貼り交ぜられており、大きさや描写の形式によってA~G群に分類されている(注1)。A群は土佐光則筆《白描源氏物語画帖》(アメリカ・フリーア美術館蔵)、B群は土佐光則筆《源氏物語画帖》(徳川美術館蔵)、D群は土佐光則筆《白描源氏物語画帖》(メトロポリタン美術館メアリー・バークコレクション蔵)、G群は伝土佐光則《源氏物語画帖》(根津美術館蔵 以下、根津本)と図様が一致し、C群の図様は現存場面のうち「松風」を除く図様が伝土佐光則《源氏物語扇面貼交屛風》(和泉市久保惣記念美術館蔵)(注2)と一致する。F群は描線や帖名の書き込み、景物への興味からB群に近い性格を持つと考えられており、E群は古様であることが指摘され、室町期の源氏絵や光信図様に遡る光則の〈再発掘〉図様が含まれている。『土佐派絵画資料』の図様と光則源氏図様の一致からは、両者に深い関係性を見出すことができる。光則の〈再発掘〉と呼ぶ図様に室町期や光信の図様を再構成したものが含まれることは先述の通りであるが、これらの一部には、土佐光起筆《源氏物語画帖》万治元年(1658)/江戸前期(個人蔵)をはじめとする光起作品や住吉如慶筆《源氏物語画帖》(サントリー美術館 以下、サントリー本)をはじめとする如慶作品に受け継がれており、光則図様が後世の絵師に大きく影響を与えるものであったことを示している。では、光則はなぜ光吉の時代には選ばれなかった図様を再発掘するに至ったのか。源氏絵の図様系譜においては、ある時代までは本文と独立する形で定型化し、継承されてきた。しかし、次第に解釈を絵画に提示する面白さを見出していくなかで、改めて定型にはない図様が求められ、再発掘へとつながったのではないかと考える。例えば、光則源氏の場面選択にみる物語の〈読み〉として重要な位置を占めるのは、源氏と女性たちとの恋愛エピソードである。『源氏物語』の構造として、恋愛と政治の二つの物語が織りなされてひとつの物語として語られるが、物語においては常に恋愛が政治を先導する形で著されている。つまり源氏は、恋愛における権力がそのまま政治における権力の指標となる人物であり、須磨帖での朧月夜との関係の発覚からの須磨流謫、明石帖での明石の君との婚姻からの政界復帰という2つの例をみても、そのことは明らかである。この「女性たち」のなかでもっとも中心的に語られる― 286 ―― 286 ―

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