鹿島美術研究 年報第35号別冊(2018)
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のが「紫の上」であり、換言するならば「源氏権力を象徴する人物」となる。光則源氏は、単に華やかであるという理由だけでなく、源氏と女性たちとのエピソードを通じた源氏の栄華物語であるという〈読み〉のもと、源氏物語世界を著しているのである。この〈読み〉は、「紅葉賀(9)」にも現れている。光則源氏には、定型である〈源氏と頭の中将の青海波〉ではなく、〈源氏が雛遊びに熱中する紫の君のもとに立ち寄る〉、〈藤壺との恋に悩む源氏、待ちくたびれ紫の君は不機嫌に横を向く〉、〈源氏、機嫌をなおした紫の君に琴を教えたあと、灯火をつけて二人で絵を見る〉という紫の上との場面が積極的に選択されている。このことから、光則源氏における『源氏物語』の〈読み〉の上では、調度としての役割を果たす華やかな場面選択以上に、紫の上の存在が重要な位置にあることは明らかである。また、定型場面となるものの多くが垣間見に代表される源氏と女性たちとの物語のはじまりを象徴する物語であることが多いが、徳川本では、空蝉との物語である「帚木(2)」、朧月夜の「花宴(8)」、朝顔斎院の「朝顔(20)」、玉鬘の「胡蝶(24)」に定型よりも和歌を詠み交わす場面を選択するなど、出会いよりも2人の関係性の構築に重きを置いていることが判る。そして、これらの和歌を詠み交わす場面はハーバード本、久保惣手鑑に見ることができ、時を経て光則に〈再発掘〉された図様のひとつである。光則源氏は、源氏と女性たちとのエピソードを通じた源氏〈栄華〉物語という〈読み〉を提示してきたが、一方で明石の君とのエピソードが重点的に語られないことがもうひとつの特徴として挙げられる。「須磨」は源氏絵のなかでも多様な場面選択を持つ帖であるが、その場面選択は流謫前の都、流謫先の須磨の2つに大きく分けることができ、他の絵師の作品と比較すると、光則が都での場面を多く描いていることが判る。これに関連して、明石帖、澪標帖に代表される明石の君とのエピソードはほとんど描かれることがなく、「絵合」において須磨流謫を回想し源氏の悲しみを誘う〈源氏、紫の上に須磨の絵日記を見せる〉場面も、光則源氏にはまったく描かれない。明石の姫君のエピソードの登場人物として明石の君は光則源氏に登場するものの、『源氏物語』において「源氏との間に生まれる姫君が入内し、国の親となる」という重要な役割が与えられる明石の君自身のエピソードが描かれないこと、特筆すべきは婚礼調度として誂えられた可能性が以前より指摘される徳川本にさえ、婚礼によって家内繁栄するというおめでたいエピソードが抜け落ちているという点である。― 287 ―― 287 ―

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