鹿島美術研究 年報第35号別冊(2018)
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(4)中院通勝『岷江入楚』光則が定型図様でなく、室町期の源氏絵から図様を〈再発掘〉するに至った要因には、図様形成を通じた『源氏物語』解釈の提示が想定され、その解釈においては少なからず注釈書が影響していると考えられる(注3)。この仮説において、その答えを同時代の注釈書に求めるべく、『岷江入楚 源氏物語古注集成11~14』桜楓社, 1980-1983年を参照する。「若紫(5)」の定型場面としてよく知られるのは、「雀の子を犬君が逃がしつる 伏籠のうちに籠めたりつるものを」と雀を追う紫の君を源氏が垣間見る場面であるが、光則源氏では定型場面に加え、垣間見後、源氏が〈紫の君の素性を探〉り、〈想いながら眠れぬ一夜を過ご〉し、〈尼君亡き後、訪ね〉、〈引き取る〉までのエピソードのなかからも積極的に選択されていることが判る。若紫 110 雀の子をいぬきか箋河 上東門院のうへわらはにこの名あり栄花物語に見えたり上記のように、『岷江入楚』には一条天皇の中宮・藤原彰子の殿上童がこれを栄華物語と表現したことが記されるが、紫の上にとっての栄華物語はつまり源氏の栄華物語であったことを示している。また、〈源氏、物思いに悩み眠れぬ一夜、紫の君を思慕する心を歌に托して尼君に訴う〉の箇所では、とりわけ多くの注釈が引かれており、源氏絵において定型である紫の君の垣間見場面以上に、解釈が求められる重要なエピソードであったことが推察される。また、光則源氏の「玉鬘(22)」から「真木柱(31)」を概観すると、光則図様に玉鬘に関連するエピソードが多いことが判る。「行幸(29)」においても、光則以前の源氏絵のいずれもが〈冬の大原野へ行幸〉〔図3〕や〈鷹狩り不参加の源氏に雉が贈られる〉〔図4、5〕の場面を描くのに対して、光則源氏には行幸後の〈源氏、玉鬘に行幸の盛儀を見物した感想を聞き、玉鬘に宮仕えを勧める〉や〈玉鬘へ裳着の祝い物届く。末摘花よりの古風な祝いに添えられた歌に源氏赤面する〉〔図6〕の玉鬘とのエピソードを描くものがある。玉鬘との関係性を通じた源氏物語解釈においては、幾多の女性たちのなかから選ぶ立場として物語の中心に位置していた源氏が、いつのまにかその恋のうちのひとつに過ぎなかったはずの玉鬘に選ばれたい男性のひとりに成り下るというエピソードを前面化させることによって、源氏の権力が衰退していく様を描き出していると言えよう。― 288 ―― 288 ―

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