鹿島美術研究 年報第35号別冊(2018)
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(三)光則如慶周辺の絵師たちしている。寛文元年(1661)[当時62歳]に法橋に叙せられ、如慶を名乗った翌年、後西天皇の勅命により住吉派を再興することとなる。以上のように、如慶が住吉を名乗るのは晩年のことであり、土佐派時代の活躍は注目に値するものである。次に、如慶作品と考えられる作品を中心に、その制作年順に関しても検討する。先にも指摘されたように、根津本は榊原悟氏によると2人の手を見出すことが可能であり、光則周辺の絵師、サントリー本と同じく広通を名乗っていた頃の如慶筆の可能性が指摘されている(注6)。そして、サントリー本から5~10年後に大英図書館本が成立する。双方を比較すると、サントリー本の方がやや等身が高い人物表現であり、面貌表現からは如慶の描く印象的な目元の片鱗を見出すことができるが、これらの特徴は晩年に色濃く現れることがよく判る。彩色個人蔵本(注7)も、如慶作品に見られる愛らしい面貌表現が感じられるものの、大英図書館本と比較すると高めの等身であることから、如慶が彩色で描いていた土佐派時代の周辺絵師による作品だと考えられる。そして、根津本とサントリー本の制作年代には大きな隔たりはないが、根津本が紙本着色、サントリー本が紙本淡彩であり、以降に描かれる如慶の多くの作例が淡彩であることは特筆すべきである。加えて、画面の上下に引かれた霞は輪郭を徐々に消していき、代わりに薄く金砂子を蒔いている。大阪青山短大本は、モノクロ図版のみの確認に留まるが、大英図書館本に近い性質を持つものであると指摘されている(注8)。淡彩個人蔵本は、ほとんどの帖において場面選択だけでなく構図も含めて大英図書館本と大体の一致をみせる。『住吉家粉本類』は、冊子状の台紙の見開き上頁の左右に詞書と絵が1枚ずつ、下頁に絵2枚の計3図が貼られる粉本であるが、このうち下頁左と大英図書館本は図様、モティーフも含めて一致する。つまり、淡彩個人蔵本は、周辺絵師によって、あるいは『住吉家粉本類』をもとに次世代の絵師によって制作された可能性も考えられよう。如慶は一部では定型に従いながらも、そのままに写し取るのではなく構図を反転させるなどの再構成を試みることも忘れない。室町期の源氏絵や光信源氏に加え、光吉源氏において定型化しなかった図様からも、再び選び取って描いている。近年調査を行った作品のなかには、光則・如慶周辺の絵師と推定される作品が幾つか確認される。これらの作品からは、近世源氏絵を考える上で鍵となってくる土佐派― 290 ―― 290 ―

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