鹿島美術研究 年報第35号別冊(2018)
301/455

から住吉派への流れを一部であるが追うことができる。光則の源氏絵に大きく影響を受け、起点として派生していったその他の画派にも着目し、17世紀の源氏絵制作と『源氏物語』解釈について広い視点を以って論じたい。特に、個人蔵《源氏物語画帖》は、出光美術館本や国文学研究資料館蔵《源氏物語団扇画帖》に関連する作品として注目している(注9)。(一)では、光則の〈再発掘〉図様に着目したが、そのなかでもこれら3作品が同場面を描く帖を多く見ることができる。これら3作品は、場面選択や図様、面貌表現や樹木表現に近似した特徴を持ち合わせており、筆者はこれらが土佐派時代の如慶周辺で制作された可能性を指摘している。場面選択においても光則同様、原典に立ち返って、源氏が栄華を掴み、やがて衰退していく一生の物語としての『源氏物語』を描くことを目的としており、そこに同時代の土佐派の源氏絵制作の姿勢を看取することができる。そして如慶自身も、源氏絵のなかに自らの『源氏物語』の〈読み〉を提示していくという光則の源氏絵制作に対する姿勢を受け継ぎ、住吉派として〈再発掘〉による新図様への試みのなかで源氏絵制作を行なっていたことは、如慶を継ぐ具慶の源氏絵にも見ることができるものである。おわりに以上のように、本研究では、光吉、光則の場面選択を中心に、土佐派における源氏図様の系譜の一途を辿った。そして、17世紀の源氏絵において、『源氏物語』の〈読み〉(=解釈)が絵画化、そして図様形成に投影されることを出発点とし、土佐派源氏のうち光吉による〈集大成〉と光則による〈再発掘〉の2つを軸に再考し、光則から如慶への流れを捉えることで土佐派から住吉派の展開を輪郭づけることを目的とした。場面選択、図様構成という面では、より多くの作例を参照し、比較を行うことができたが、一方でそれを同時代の注釈書である『岷江入楚』を資料として行うテキスト研究という面からの論証は十分に行えたと言い難い点もある。また、17世紀の源氏絵のうち、特に絵巻に関しては、作品の位置づけから行わなければならない作例も残されている。並びに如慶、具慶作品においても、今後更なる作品研究を重ねて議論しなくてはならない。また、住吉如慶を中心に住吉派の源氏絵作品について見ていったが、源氏絵以外にまつわる彼らの画業については、未だ理解不足な点もある。特に如慶が住吉派として活躍の場を広げるにあたって大きく関わる、後水尾天皇が中心となった古典文化復興の動向については、今一度理解を深める必要があろう。さらに、細川幽斎や中院通勝― 291 ―― 291 ―

元のページ  ../index.html#301

このブックを見る