鹿島美術研究 年報第35号別冊(2018)
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⑸ 「帝展年表(1)」日展史編纂委員会『日展史6 帝展編1』社団法人日展、1982年、669頁⑹同前;無記名「光風会の撮影禁止六点」『読売新聞』1919年3月7日朝刊、5頁⑺無記名「裸体撤回の今昔物語」『読売新聞』1923年5月9日朝刊、5頁⑻無記名「帝展出品の撮影禁止」『読売新聞』1920年10月15日朝刊、5頁⑼日展史編纂委員会『日展史7 帝展編2』社団法人日展、1982年、667-668頁⑽前掲注⑺に同じ⑾この講演会の内容は、後に講演録として出版された。(坂井義三郎編『裸体作品問題講演集』裸体作品問題解決同盟会、1924年)なお、この同会の活動と講演録についての先行研究として、迫内祐司氏の所説が挙げられる。迫内祐司「『裸体作品問題講演集』を読む」『美術運動史研究会ニュース』第121号、2011年9月、4-9頁 林武「新文展の洋画を見る」『アトリエ』第13巻11号、1936年11月、24頁;日展史編纂委員会『日 中村善策「招待展第二部」『アトリエ』第13巻12号、1936年12月、24頁;日展史編纂委員会『日 岡田三郎助談「思想表現の裸体に論議の余地なし」『読売新聞』1924年8月17日朝刊、6頁年、57-93頁;北澤憲昭「裸体と美術─違式詿違条例を軸に」『境界の美術史「美術」形成史ノート』ブリュッケ、2000年、111-128頁;植野健造「白馬会と裸体画」『日本近代洋画の成立白馬会』中央公論美術出版、2005年、66-89頁;蔵屋美香「絵画の下半身─一八九〇年~一九四五年の裸体画問題」『美術研究』第392号、2007年9月、東京文化財研究所、315-336頁;蔵屋美香「黒田清輝とはだか」「もう一度、はだかを作る」『ぬぐ絵画 日本のヌード1880-1945』東京国立近代美術館、2011年;木下直之『股間若衆 男の裸は芸術か』新潮社、2012年⑵拙稿「明治期・大正期における裸婦像の変遷─官憲の取り締まりを視座に─」『成城美学美術史』第22号、成城美学美術史学会、2016年3月、1-41頁⑶昭和期の官展の裸婦像については、蔵屋美香氏が部分的に指摘している。蔵屋前掲注⑴「絵画の下半身─一八九〇年~一九四五年の裸体画問題」、84-85頁⑷太田三郎編『世界裸体美術全集』全6巻、平凡社、1931年;太田三郎『裸体の習俗とその芸術』平凡社、1934年⑿無記名「秘密仏の聖天様が危ない」『読売新聞』1924年10月12日朝刊、2頁⒀「帝展年表(2)」日展史編纂委員会 『日展史7 帝展編2』社団法人日展、1982年、669頁⒁副見喬雄「裸体作品の検閲に就て」『読売新聞』1925年3月2日朝刊、4頁;無記名「春陽会の裸体二つ撤回さる」『読売新聞』1925年3月7日朝刊、2頁⒂副見前掲注⒁⒃同前⒄「塗り潰した鹿子木氏 馳つけた千種夫人」『読売新聞』1925年10月16日朝刊、3頁⒅増野恵子「松田改組再考─美術行政の観点から─」『美術批評家著作選集 第11巻 帝展改組/新体制と美術』ゆまに書房、2011年、661頁⒆「今議会ニ於ケル美術ニ関スル討議 衆議院予算委員第二分科会議事録ヨリ抜粋」『美術』第10巻3号、1935年3月、8-9頁;日展史編纂委員会『日展史12改組編』社団法人日展、1984年、536-538頁⒇《融和》の先行研究として、柳沢秀行氏の所説が挙げられる。柳沢秀行「片岡銀蔵作『融和』」『岡山県立美術館ニュース』第20号、1993年3月、2頁展史12 改組編』社団法人日展、1984年、499頁展史12 改組編』社団法人日展、1984年、506頁― 315 ―― 315 ―

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