「奉天からご挨拶を」と記されていることから同地で投函されたと思われる。なお、「明日はソウルに旅立ちます」という記述もあり次の目的地がソウルであったことが分かる。『鉄道・船舶旅行案内』を参照すると奉天からソウルまで向かう最速の方法は、急行二〇二列車を使用することである。もしこの列車に17日に乗車したとすると、14時40分に奉天を出発し、国境を越え、ソウルの南大門に18日10時30分に到着することになる。また、先述の下関発で22日13時50分新橋着の急行列車に乗るには、遅くとも、20日にソウル10時50分発の二〇二列車に乗り、20日20時30分プサン発・翌7時30分下関着の関釜連絡船に乗船する必要がある。以上の旅程は多少の前後はあってもそう無理のない想定だと思われる。少なくとも、奉天・ソウル・プサン間の移動時間と葉書の消印を考慮すると、10月20日頃に日本に入国したことは確実だろう。これまでノルデの日本滞在は、ノルデの伝記の記述などもあって約3週間とされることが多かったが、10月20日頃に入国し、22日東京着、3日長崎から出国していると考え、むしろわずか2週間程の慌ただしい滞在だったとするべきだろう。1.2 ノルデが日本滞在時に目にした作品ノルデはその自伝のなかで、日本で「寺社、宮殿、公園、赤い門、橋といったものをたくさん見た」「充実していてきちんと分類されている博物館をいくつか訪れた」「小さくて高価なたくさんの美術品の売立にも行った」と述べている(注8)。また劇場で見た演目などについても述べており、その記述から能を鑑賞した可能性が高い(注9)。他方、ノルデが舞台を描いた日本滞在時の水彩画には能面を付けた演目は少なく、わずか二週間の滞在ながら幅広いジャンルの観劇に勤しんだのであろう。さて、ノルデは具体的にはどのような作品を見ることができたであろうか。日本滞在時、最も感銘を受けたのは仏像だったようで自伝で詳しく触れている。言及されているのは有川治男氏が指摘するように法隆寺の救世観音菩薩立像と中宮寺の菩薩半跏像だろう(注10)。『鉄道旅行案内』(大正2年)等の当時のガイドブックを見るとかなり多くの寺社仏閣が紹介されており、そのなかには法隆寺や中宮寺も含まれている。博物館は複数形で記述されているが、東京帝室博物館と京都帝室博物館は訪れた可能性が高いだろう。前者は『鉄道旅行案内』等にも頻出の観光地である。また、ノルデの自伝後段には「京都の博物館」で美術史家のカール・ヴィトと偶然出会ったことが記されている。ヴィトも「Kyoto Museum」で出会ったと述べており京都帝室博物館と推測される(注11)。ノルデはヴィトに「真に見るべき価値のある美しいものが― 320 ―― 320 ―
元のページ ../index.html#330