鹿島美術研究 年報第35号別冊(2018)
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どこにあるか」を聞き、古い中国絵画(山水画)と虎の絵を見たと記す(注12)。1913年10月に特別展は開催してなかったようであり常設展示をみたと考えられる。『京都帝室博物館絵画一覧』(1913年)に中国絵画も含めて虎の絵を探すと、長沢芦雪《虎図》、李龍眠《猛虎図》、牧谿《龍虎図》がありいずれかの可能性が高い。山水画に関しては、馬遠《山水図》をはじめ山水図と題するものだけでも12点あり、山水人物図なども含めると絞り込むのは難しいが、その中のいずれかを見たのであろう。美術品売立については、ノルデは次のように述べている。「さらに、小さくて高価なたくさんの美術品の売立にも行った。ある寺院は、寄贈品として多くの美術品を所有していると言われている寺院の一つだったが、その所蔵品の一部を公に戻そうとしていた。愛好家たちが微に入り興奮する様子や、印刷物や茶碗、対象を恭しく繊細に取り扱うのを見ることが楽しかった。」(注13)この時期に開催された売立において描写に合致するのは西本願寺大谷家の美術品売立だろう。10月31日から11日2日までが招待者に、11月3日から5日までが一般観覧券所有者に公開されている。先に検討したノルデの滞日期間を考えると、招待者の日程となるが、ヴィトもこの売立には参加しており、ヴィトが仲介した可能性もあるだろう。この売立の様子は売立目録『西本願寺大谷家御蔵器』等から分かるが、かなり幅広い作品が見ることができたようである。これらの寺社、博物館、美術品売立を巡り、ノルデはどのように感じただろうか。ノルデの言葉に探る限り、残念ながら、ノルデは日本美術全般に関しては厳しい評価を下している。ノルデは以下のように記す。「更には多くの美術品を我々は見た。古い、真に価値ある作品は全て中国のものだった。」「日本独自の芸術は重要ではない。素晴らしい木版画、漆やブロンズによる美しい工芸品を、日本人は作る、しかし、すべては趣味の品という領域に留まっている。」(注14)。一方で、これらは1936年に書かれ、1956年に出版された自伝における記述であることも留意すべきだろう。自伝を見る限りノルデは日本美術より中国美術を高く評価しているようであるが、実はヴィトは先に引用したノルデの京都帝室美術館の記述に対し次のように記している。「ノルデが収蔵品のなかの超一流の初期中国山水画に深く感動したのは真実なのだろうが、彼の記憶は欠けているに違いない。彼が美術館を去ろうとするときに言ったことは『死にそうなほど退屈だった』なのだから。どれだけ私が傷つき、心から愛する美術への彼の無関心に憤慨したことか!」(注15)ヴィトはノルデと中国絵画の色彩感覚の違いを理由として推測しているが、自伝に― 321 ―― 321 ―

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