鹿島美術研究 年報第35号別冊(2018)
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「ヘラクレスとケルベロスの犬の噴水」の計画案の位置づけながらも「ヘラクレスとケルベロスの犬」の造形を継承しているウフィツィ美術館の回廊天井画のヘラクレス像に先立つものと考えられるのである。「ヘラクレスとケルベロスの犬」の造形が、同回廊天井画のヘラクレス像にとって直接の手本となったことを裏付ける史料はない。しかし、両者が直接の参照関係にないとしても、何らかの手本を共有していた可能性は十分に想定されるだろう。それゆえ、ウフィツィ美術館の回廊天井画制作を担ったアッローリ工房がこの「手本」に触れていた可能性に照らせば、「ヘラクレスとケルベロスの犬の噴水」の素描の作者もまたアッローリ工房と繋がりを持つ人物であると考えられるだろう。アッローリはブロンズィーノの高弟であるため、デ・ロッシがコジモ1世から委嘱を受けた際、メディチ家の宮廷画家として寵愛されていたブロンズィーノの工房を通じてアッローリと接触していた可能性は十分に想定される。またデ・ロッシは「ヘラクレスの12功業の噴水」〔図8〕を構想するにあたって、フィレンツェのサン・ロレンツォ聖堂内陣壁画にポントルモが描いた造形に着想しており、この壁画のための習作を含めた関連素描を目にしていたことが推察される(注18)。この壁画はポントルモが死去した後、ブロンズィーノが仕上げて1558年に除幕されたため、アッローリもまた師の工房においてその造形に親しんでいた。実際、アッローリは同壁画の模写を残しており、「ヘラクレスの12功業の噴水」の水槽を飾る浮彫装飾の構想を表すデ・ロッシによる《ヘラクレスの物語》の素描〔図9〕において、前景を占める「冥府降下」の場面でケルベロスを引き連れるヘラクレスの周囲に横たわる人物像は、奇しくもアッローリによる模写と酷似していることが看取されるのである(注19)。ここまでに示した両者の関係性に鑑みれば、アッローリ工房と「手本」を共有しうる関係にあった彫刻家、すなわち「ヘラクレスとケルベロスの犬の噴水」の素描の作者として、これをデ・ロッシと同定しうる文脈が立ち上がるのである(注20)。ここまで「ヘラクレスとケルベロスの犬の噴水」の構想に描かれたモティーフの造形分析を通じて、この大型素描をデ・ロッシに帰属しうる証左を提示した。次に、この素描が描かれた目的について考察したい。上述の通り、本素描について唯一言及しているハイカンプは、これをトリーボロが生前に残した水盤を用いたボーボリ庭園の噴水のための計画案の一つと見なした。しかしながら、本素描に描かれた水盤は、口径に比して下部に膨らみが付けられており、トリーボロの水盤とは形状が異なる(注21)。トリーボロの水盤がエルバ島からフィレンツェに到着したのは1567年であるた― 330 ―― 330 ―

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